パン屋さん

 こんな田舎の町に帰って、親の跡を何となく継いだ僕からしたら、よりによってと言いたくなるが、パン好きの僕にとってはありがたい話でもある。30年前、僕が牛窓に帰った頃には人口は12000人だった。今は8000人に減った。当時から時代に先行して高齢化が進んでいたと思うが、今でもますます時代を先行している。せめて、そんな田舎のメインストリートに店を構えるのならいざ知らず、田舎の田舎と言われている山の上に店を作ったのだから、余程勇気か自信があるのだろう。いや、しばしばパンを買ってくる家族の話を聞いていると、遠く海が見えとても景色が良い場所らしいから、自然を求めてやってきたのかもしれない。俗人ならすぐそろばんをはじくが、独特の価値観をもって果敢にやってくることもありうるのだろう。地元の僕も行ったことがないような場所だが、新しい家が建ち並び一種独特の雰囲気を作っているらしい。本来、近所のお百姓さんだけが通るような所なのだが、お店の評判は町外の僕の患者さんから聞いた。遠くからわざわざ漢方薬を取りに来てくれる人が、そのパン屋さんの場所を僕に尋ねたことでその存在が初めて分かった。ほとんど宣伝もしないで町外の人に良く知られたものだと感心した。  どんな理由があろうと、牛窓に一番あって欲しい物を言えと言われれば迷わず手作りパン屋さん と10年以上答え続けていた僕にとっては嬉しい限りだ。ほとんど無条件で喜んでいる。食べ物にあまり興味がない僕が、せめておいしさが分かるのがパンだ。(誰だって分かるか?あえて強調するほどのもではないな)今まで食べて美味しいと思ったお店のものと比べて全く遜色ない。それが嬉しい。田舎だから許される味なんてものはない。寧ろ田舎だから頑張らないと都市部の地の利に圧倒されるのだ。消費のために足を田舎に向けさすのは至難の業だ。唯一の方法は実力しかない。美味しいものを、都会のお店に負けないものを作るしかないのだ。ひいき目かもしれないが、僕は山の上のパン屋さんは負けていないと思う。(この文章を書いていて思いついた。店名を山の上のパン屋さんに変えたらおもしろい)  30年前、田舎だからそろわない薬があるとしたら申し訳ないと懸命に薬を集めた。その後、田舎だから治らない病気があるとしたら申し訳ないと思い懸命に勉強した。そのおかげで田舎だからこそ出来ることを多く味わった。今の僕の薬局のスタイルは、田舎ならではのスタイルだ。お互い無理をしない。こっちもあっちも。これ以外に選択肢はなかったのだと今は思える。