饒舌

 急にマイクを持たされたので、何を話せばよいか全く分からなかった。70人くらいの集団だったと思う。体よく断ることも出来たのだが、頼まれたものは基本的には断らない。最初の挨拶の「こんにちは、福山雅治です」が全く滑ってしまった。珍しいくらい受けなかった。誰一人笑い声を上げないのだ。僕が似ているのならその反応も分かるのだが、ここまで違えば冗談だと分かるはずなのに、誰一人表情を崩さなかった。むしろ表情をこわばらせたような人もいた。次なる手が瞬時に浮かび、運良く徐々に笑い声が上がるような雰囲気に持っていけたが、ちょっと苦戦した。  僕は堅い雰囲気が苦手だ。どこかほっとするような間が抜けたところがないと息苦しくなってしまう。だから僕はどこに行っても、空気が抜けた風船のような空間を自分で作り出すことにしている。堅い話は1日中毎日僕の頭の中で密かに回り続けている。職業柄、薬と向き合っているときも必死だ。どの薬剤師も同じだと思う。だからせめて、仕事を離れ、牛窓を離れたときは、開放感に浸りたい。人と集うときには、楽しく語り合いたい。その欲求が、僕をどの環境でも、いつもの行動にはしらせるのだろう。堅いテーマを語るのがいやなのではない。堅く語るのが苦手なのだ。語るために多くの才能が必要なら、語る資格を失う人が出る。それは不公平だ。柔らかく、不細工に、誰もが気を抜いて参加できるのが好きだ。ざっくばらんを覚えたら、どんな集まりも気にならない。岡山弁を半出しにして、いつもの言葉で不器用に話す。会場を盛り上げることもなく、また盛り下げることもない。笑い声とともに交感神経がどっと緩んで、その場所にいることが誰も苦痛でなくなればいい。話し下手だからその資格があるのではないかと思っている。饒舌でなくてよかった。