修学旅行

 関東のある高校生が、外国に修学旅行に行けた。そして充分楽しんできてくれたらしい。学校へ行くと腹痛がするという青春前期にはよくあるトラブルだが、昼食も食べれるようになったらしいから完治が近いのかもしれない。報告のメールを読んであの頃を思い出した。  40年前、僕ができなかった、いや、しなかったことを彼がやった。春の遠足で、福山の鞆の浦に行ったとき、弁当の時間、友人達が広げた弁当を見た瞬間僕はそっとその砂浜を離れて丘の上に登った。僕はバナナのクリームが塗ってある細長いパン1つと牛乳だけを近所の店で買って持っていっていたのだ。当時下宿していた僕は弁当を作ってもらうわけにもいかず、コンビニがあるでもなく、それが高校生にできる唯一の準備だった。誰もいないところから見た鞆の浦の景色をいまでもよく覚えている。それは春の太陽を遠慮気味に反射している瀬戸内の海ではなく、砂浜に点在して弁当を食べている同級生達の姿だった。それ以外の景色は全く覚えていない。みんなが食べ終わった頃何事もなかったような顔をして合流したが、そのときの哀れさは何とも言えなかった。以来、春の遠足も修学旅行も参加しなかった。残念とは思わなかった。集団で移動する光景が元々好きではなかったから、何かを失った感覚は無かった。ただ、明らかにそのときから群れることには大いなる抵抗と警戒心を持つようになった。楽しい思い出ではなかったが、自立へのよい機会だった。こうしたちょっとした出来事にも育てられた青春時代だと思う。よい想い出なんか滅多ないが、思い出したくない出来事だけが僕を育て形作っていってくれたと思う。  まだ見ぬ青年が、この国のどこかでまた一つ成長したのだと嬉しくなった朝だった。