子供

 月曜日の朝、岡山に向かって車を走らせていた時のこと。もう岡山市に入っているところだったと思う。道路沿いの小さな工場みたいな建物の前に駐車場がある。その駐車場に幼い子供が立っていた。幼稚園児くらいに見えた。その子が道路を渡ろうとしているのか、偶然駐車場内で遊んでいるだけなのか判断に迷った。スピードを落とし、大きく反対車線に逃げるようにして通りすぎた。その子は結局じっと立っていただけだった。  こんないつでも遭遇しそうな光景が、実は本当に久しぶりのように感じたのだ。敢えて話題にしたくなるくらい遠ざかっていた光景なのだ。人口の4分の1を老人が占める時代、田舎ではもっと高率で老人が健在だ。その分子供を見る機会がとても減った。いや、田舎だけではないと思う。神戸辺りに勉強会に行っても ほとんど子供を見かけない。僕が動く時間帯や曜日や場所が彼らの行動と交差しないのかどうか分からないが、それにしても影が薄すぎる。わが子が成長して大人になったから、子供を通しての交流もなくなった。もはや、世間の子供たちとの接点はない。遠景として見かけるくらいなものだからむしろ状況を客観的に判断できる。 気温が上がり、暴風雨にさらされ、海面が上昇し、亜熱帯の病気に感染し、飲み水に困窮し、科学物質に汚染され、若者は兵隊に取られ、物欲は天井を知らずに勤勉は死語となる。子供を見ない光景は未来が自己保存を図っているのか。それとも、現代の親が漠然とした恐れを感じているのか。この子らに健全な未来はないと。  道路に突然飛び出してくる子供の存在すら忘れかけていた休日の朝だった。