貫通

 誰にもらったものか分からないが、封を開けずに放置していた記念品風の小さな紙箱を開けてみた。少しシミがついているように見えたから、結構放置していたのだろう。中からスタンド型のデジタルの時計が出てきた。大きな数字で見え易いが、今敢えて時計が必要な部屋はない。説明書を見るとなんと、宇宙から電波かなにかしらないが、時間を調節してくれるものが飛んできて、常に正確な時間を刻んでくれるそうだ。だから、窓際に置くように説明されていた。  これは便利だ。常に正しい時間がわかるし、時計の針を合わす煩わしさから解放される・・・などとは全く思わなかった。ただでさえ潔癖な日本人の時間感覚が、より一層研ぎ澄まされそうだ。1分の時間で動く日本人が、これで秒の単位に突入するのではないかと思う。僕も典型的な日本人の感覚だから、なんとかその縛りから自分を解放したくて、学生時代を最後に腕時計をするのをやめた。街を歩けば商店街の中を覗いて時間を知り、車の中では数分遅れの時計でおよそを知り、家ではテレビ番組で時間を測る。朝は目覚めた時間が起きる時間で、夜は眠くなれば寝る時間だ。薬局を朝8時に開け、夜8時に閉める。唯一守りつづけたのがこの時間だけだ。それ以外はおよその枕詞を常に用意していた。時間に縛られないこと、人に縛られないこと、お金に縛られないこと、地位や名誉に縛られないこと。多くの身軽さを手にして、集中して縛られるべきところに身を投じる。メリハリとはこう言う事だろう。  それにしても大変な時代だ。僕らが眠ったり、歩いたり、食事をしたりしている傍を、宇宙から時間が降ってきているのだ。時間だけではない。声も、姿も、地図までもが僕らをかすりながら常に降り続けているのだ。ひょっとしたら僕らを貫通しているのかも知らない。