昔は、8月15日の夜には各々の家庭が、勝手に精霊流しをしていた。海辺の町だから、石段を下りて藁で出来た船に蝋燭の明かりをともし、果物などを載せ沖に押し出す。祖父が何やらお経を唱え、海面に水をまいて儀式は終わっていた。幼い心に訳は分からなかったが、なにやら神聖な行事のように思えた。その1年のうちに亡くなった家は、初盆と言って、木で作った豪勢な船にちょうちんの灯りをいっぱいともし、漁船で沖に曳航していた。木造の船の大きさ、ぶら下げたちょうちんの数で、仏さんの経済力や地位が想像できた。僕ら子供は翌日その船が流されてくるのを待った。その時はもう浸水して転覆しているから、お供えなどややこしいものは一切なかった。あるのは船の枠組だけでそれで十分だった。その船に浸水を防ぐように手を加えて、夏休みの最後を何日も楽しんだ。はるか沖まで漕ぎ出していたように思う。かなりの罰当たりだが、親も近所の大人もみな許していた。  今日の海は全く波がなく、池のようだった。いや、池でもそれなりに波や波紋は立つだろう。ところが街灯に照らされた海面に全く動きがなかった。最初は母が水を流そうとして気がついたのだが、なるほど、全くと言っていいくらい海面が動かなかった。余り日本では聞いたことがない数字が天気予報の中で伝えられる。今日も関東の方でとんでもない数字に上がっている。海がじっとなりを潜めているように感じた。いつの日か溢れ出す為の準備のように思えた。  最近の精霊流しは陸で行う。遊園地に各々が舟を運び、8時丁度に現れる僧侶に合わせて皆でお経を唱える。舟は結局海に流されることなく、翌日清掃会社の車で引き取られていく。隣の部落はもっと先を走っていて、最初から黄色いゴミ袋に包まれて運ばれてくる。仏さんはなんと言っているだろう。迷惑かけて申し訳ないといっているだろうな。1年に1回の帰宅も遠慮気味になるだろう。死んでからでも、肩身が狭いだろう。  田舎でさえこうなのだから、都会ではおそらくもっと淡白だろう。もはや盆は、外国に出かけるためのものなのかもしれない。僕にとっての先祖は、やま祖父母までだ。それ以上は想像がつかない。お蔭でややこしいものに縛られずにすむ。どこにでもある、どこにでもいるような遺伝子で良かった。特別なんかいらない。にぎり寿司でも食べてしまえば、特上だって、並だって同じだ。