知性

 知性とはこぼれるものなのだ。自慢げに見せびらかすのは知性ではない。僕には彼女からこぼれている知性がずっと見えていた。例えば現代人が、縄文時代や室町、江戸時代の人間より優秀である根拠など全くない。当時の状況を切り開いた人達と現代を切り開こうとしている人間の能力に何ら差はない。ただ物が溢れ情報が溢れているから現代の人間が優秀なように錯覚しているだけだ。凄い人は凄い。つまらない人間はつまらない。いつの時代も同じだ。  同じことは、先進国と後進国の関係でも言える。先進国の人間が、能力的に後進国の人間より勝っているなんて根拠はない。さすがに教育が行き届いていれば知識は増えるだろうが、本来持っている大脳の働きに関して差はない。  日本語の問題を持ってきたが、僕でもたじたじになるような問題だった。解答を説明するのにかなり本気にならなければ納得してもらえなかった。寧ろ彼女が僕の答えに納得できずに例え話を作るのだが、その能力には脱帽した。彼女の方が明かに頭がさえている。  僕は彼女のプライドを傷つけないように配慮して学歴を尋ねてみた。近辺の工場で安い給料で働いているのに彼女からは知性がこぼれていたから。すると彼女は、「大学ですよ」と答えた。それも中学校、高等学校と主席だったらしい。大学では英語を勉強し、2年間は日本語も勉強したらしい。ほとんどの漢字をすらすらと書く彼女がどのくらい勉強したかは想像がつく。全ては日本でよい仕事を見つけるためだったらしい。その知性を生かせていない仕事を余儀なくされている彼女は、日本語を勉強してより知的な職業につくことを目標にしている。  「英語で話しますか」と彼女はいたずらっぽく笑った。「貴女が日本語の検定試験にパスしたら僕に英語を教えて」とかわしたが、語学の習得能力の差は歴然としている。国力の差と学習意欲の差が相殺している。いずれ近いうちにどちらもこの国が劣るようになるだろう。でもそれはきっとよいことなのだ。いつまでも勝ち続けるのはよくない。勝者と敗者はしばしば交代すべきだ。せめて謙虚とか謙遜とかを忘れない内に。