ベクトル

 ある県の、ある大学の、ある学部に通っているある男子学生に漢方薬を送っている。いつも電話で症状の報告を受けるのだが、症状以外の会話も少しする。昨日の電話で分かったのだが、彼は人もうらやむその学部に最高点で入り、今も首席を保っているらしい。  ある県の、ある大学の、ある学部に入った僕は、人も軽蔑する最後尾で入学し、常にその位置をキープして、4年生大学を5年かけて卒業した。おそらくその5年間が僕のもっとも勉強しなかった時期だ。もっとも、専門とは関係ない本は常に読んでいたから、全く頭を働かせていなかった事とは違う。しかし明かに薬の勉強からは完全に逃避していた。  年令は丁度親子の様にちがい、成績は180度違うが、話していてそれぞれ苦悩はあるのだと思った。僕は受ける試験受ける試験不可ばっかりだったが、居直ってしまって勉強はしなかった。しかし、本当は心中穏やかではなかった。でもいくら心を入れ替え様としても、身についてしまった怠惰な精神は、麻薬のように僕を誘惑しつづけた。苦しみながら、もがきながら、僕は人が勉強している間、煙草の煙でむせびながらパチンコの台に向かっていた。  おそらく彼は今の位置をキープする為に、戦いのモードで暮らしているのだと思う。それは他者との戦いではなく、自分自身との戦いのはずだ。他者を蹴落とすようなことが出来る人でない事は十分伝わってくる。むしろ逆だと思う。彼が自分であるべき姿を基準に日々努力している姿が、僕とは全く対照的ではあるけれど、同じくらいの重圧として彼を襲っているのだと思う。落ちていくあの頃の僕と上りつづける彼が、ベクトルは逆をむいていても、同じような苦悩を抱えて生きていることが興味深かった。青年期は、決して光り輝いてなんかいない。圧倒的に苦悩の方が多かった。