無関心

 今朝、ある方から病院の薬や自分の症状についての質問を受けた。別に僕が直接タッチする事を期待しているのではなく、医者にも、門前薬局にも尋ねにくかったので、尋ねに来たらしい。僕にとっては極日常の業務でしかないので事務的に知っている範囲の答えをした。するとその方は大変恐縮して、お礼代わりなのだろう、夏の殺虫剤を沢山買っていった。来年も使えますか、再来年も大丈夫ですかと尋ねて。病院でもらっている薬の説明だから、僕の説明が特別長けているわけではない。薬剤師なら答えられる範囲のことなのに。  そんな無理をしてまでお礼をしてくれなくてもいいのだ。そんなことで僕の心は全く動かない。むしろくすぐったい感じでおり場がなくなってしまう。子育てが終わり空の巣症候群になっている僕にとって、お金は余り意味を持たないのだ。なるほどお金で買えるものはいっぱい溢れている。しかしお金で買いたいものは何もない。ほしいものは残念ながらお金では買えないものばかりだ。  生命、光、平和、自由、和解、義、愛、希望、喜び・・・その一部はお金が関わっている部分もあるが、それは本質ではない。お金が関われば目的ではなく手段になってしまう。逆に不幸はいくらでもお金で買える。  豪邸に住み、高級車に乗り、贅沢品に囲まれる。門の外には乞食がいる。恵まれている人は、門の外の乞食に悪い事はなにもしなかった。乞食は死んで天国に行ったのに金持ちは地獄に行った。何故だろう。金持ちは自分の財力を何に使うべきか考えることをせずに、門の外の乞食に無関心だった。無関心こそ、愛に一番背く事なのだ。