花火

 季節に関係なく数発の花火が上がると、海辺のホテルで結婚式がある。数年前から始まったと記憶しているが、今では慣れてしまって、音がするたびに外に出るようなことはない。華やかな儀式が、花火の下で行われているのだろうが、部外者にとっては、信号が赤から青に変わるほどの影響もない。  結婚が幸せなどとは誰も断言できないだろう。だから僕は結婚式が苦手だ。オメデトウの言葉が心底言えないのだ。その言葉以外にあまり見つからないので言うには言うが、禁止された野焼きを果敢にやりつづけている老人ほどの真実味はない。漢方をやっている人間ならわかると思うが、夫婦とは本来殺し合う関係なのだ。親子が一心に守る関係とは似ても似つかわない。身の回りを見ても自分たちを見ても想像に難くないだろう。僕など職業柄そんな関係ばかりにお目にかかる。滅多に仲のよい夫婦など見たことがない。結婚の意味は「便利」に尽きると思う。ところが最近はもっと便利な結婚相手が見つかったので、なかなか結婚と言う博打で勝負したがらないのだ。炊事は、百貨店やスーパーの午後8時以降の半額セールと結婚し、洗濯はコインランドリーと結婚し、掃除はダスキンと結婚する。これらは余程結婚相手より洗練されている。  一人で生きても孤独、夫婦で暮らしても孤独、子供が鎹になっても孤独。それなら憎しみのない音のしない一人暮らしを選ぶのもうなづける。僕ら凡人が無条件の愛を実践出来る場所は、シャバにはないのだ。その場所を求めてある方に教えを乞うているが、求めれば求めるほど遠ざかる。  今日も花火の下で、漢方の説く道を歩み始めた人達がいる。