検診

 今日母は、町の検診だったらしい。これだけは無料だから行く。結局今日も検診の結果、なにも言われなかったらしい。ただ、目はなにか通知が来るかもしれないなと言っていた。最近結膜炎気味で、薬剤師さんに頼んで抗生物質の目薬をもらって勝手にさしている。  本当に何歳か知らないので、85歳以上、90歳未満くらいなしばりで話を進めるが、母はいたって健康だ。70歳直前に胃がんの手術をした以外に病気の記憶はない。今でも昼からは薬局の手伝いをしてくれている。母は、コレステロールが高い。恐らく300を越えていると思う。現代医学的に言うととんでもないことだが、病院にもいかない。ましてコレステロールの薬など飲まない。と言うより、病院の薬なんか飲んだこともないのではないか。風邪をひいても、おなかが痛くても、膝が痛くても、全部薬局の簡単な薬で治している。元々元気に生まれついたのだろうが、よく働き、よく働き、よく働き・・・これ以外に思いつかない。ひたすら働きつづけて遊びなんかは本当に縁遠かったのだと思う。遊べば幸せとは思わないから、人生を悔いることもない。今でも「私は幸せだ」とよく言う。元気に働けることが幸せなのだ。  漢方薬、特に煎じ薬を送っている方々の、下こしらえを母がやってくれている。勿論調剤は僕か薬剤師さんがやるが、生薬の整理は母が得意だ。僕の薬局にとってはまだ重要な戦力なのだ。何歳になっても、居場所があるという事はその人の能力をいつまでも保てられる。社会の歯車でいつまでもありつづけられると言うことは、その人の尊厳を保つ。  スイッチを入れれば、ばかみたいな芸能人がどのチャンネルでもくだらない世間話をしている。そんなものを見さされている若者や、老人、失業者、リストラ組は精神的な階級を心の中に醸造する。悲惨な事件の洪水は、後戻りできない新たな階級の産みの苦しみなのだ。