ビール

 恐らくこの一月、ビールも飲まなかったのだと思う。眠らないことを第一義に過ごしてきたから、ビールで眠気を誘うなんてもっての他だった。今日久しぶりに飲んでみたが、1ヶ月待って飲むほどのものではなかった。作られた倦怠感よりは、意地でもやりぬくぞと言う論理を超えた精神の方が余程居心地がよかった。肉体に保証があればもっと頑張れたのだろうが、そこのところが全く持って自信がない。去年も腰と首で計1週間は仕事が出来なかったくらいだから。今年は気をつけてはいるが、元々壊れてしまった腰と首だから爆弾を抱えて仕事をしているようなものだ。いつ去年の二の舞がやってこないとも限らない。  韓国戦のバレーボールを見ていた。アタックやレシーブがうまくいった時の笑顔は何とも言えない美しさがある。表情が緩んだ時の顔は、気合が入った時の顔と比べて遜色のない美しさがある。青春の全てをかけて没頭出来る人達は幸せ。親に愛され、コミュニティーで大切にされた人達は幸せ。ただ繰り返される悲惨なニュースは、愛されたことのない人達がベルトコンベアーで運ばれるように増産されていることを感じさせられる。幼くして、大人の価値観を満たすように求められ、上げることの出来ない悲鳴を反芻している子供たちが沢山いる。大人は消費で精神をごまかし、子供まで消費しようとする。コートで飛びまわる青年を見て、僕には固唾を飲んで部屋の隅で遅い朝を待っている若者達も見える。どちらも現実に存在している人達だ。どちらの側に立つべきか、大人や社会や政治は常に問われつづけている