不可

 ソファーに座りうなだれている人、小さな子供を膝に乗せて不安そうな若い母親、落ちつかないそぶりで廊下を往復する人。休日診療を頼りにやってきた人達の前を通り、僕はいつもの部屋へ見舞いに行く。ふとしたきっかけで、僕がそのソファーで順番を待つようになるかもしれないし、病室で見舞われるようになるかもしれない。立場によって、生活が全く違ったものになるだろう。心の持ちようまで、はては価値観まで変わってしまうだろう。出来ることなら病気など縁のない生活をしたいものだが、それは余程運のよい人以外は望めないこと。ちょっとした養生で回復するのは優。薬局の薬で自力で治せるのは良。病院へ行ってプロに治してもらうのは可。不治の病になるのは不可。  大学では僕は不可の量産体制だった。幼い時から職業的な夢があった訳ではないから、なんとなく難関校を目指して勉強していて、結局は力尽きてしまったが、力尽きてしまった時から色々なことが見えてきた。学校では教えてくれないことが巷には溢れていて、喫茶店の片隅にだって知識は転がっていた。学問は大学の講議室の中にあるとは限らなくて、自転車の荷台から落ちるダンボール箱の中にも満載されていた。  豊な時代になった。ワンフレーズ政治家に権限を与え、年金は削られ、生活保護も切り詰められ、老人の医療費は負担増を強いられ、税金は増やされ、あまりの負担増に悲鳴を上げた老人達が役所の窓口に殺到している。豊な時代になった。一寸想像すればそんなこと見え見えだったのに、ワンフレーズに踊らされるほど豊になった。豊な時代になった。お金で買えるものだけが溢れる豊な時代になった。値段がつかないものに価値を置かないくらい豊になった。いつかきっとあの時代に不可を与えておくべきだったと言われる時が来る。