社会の呼吸

 ついこの間、薬局を新築したと思っていたのにもう20年近く経っていた。駐車場に埋めてあるマンフォールの蓋が腐食して危険だと指摘されて工事を依頼した。今朝から工事が始まったのだが、コンクリートを掘削機?ドリル?(正確な名前を知らない)で砕いていく時の音のすごさに驚いた。薬局の前の駐車場だから、数メートルしか僕がいる所とはなれていない。最初は興味本意でドアを開けていたのだが、すぐさまドアを閉じた。あまりの音の大きさに、BGMも全く聞こえない。うるさいということだけでなく何か不快感もあった。ドアを閉めてもかなりの音で、かすかにBGMの音は聞こえるが、何かしら非常に嫌な気分になり、そのうちイライラしてきた。10分もたっていないと思う。わずか10分で僕は精神的に限界を感じていた。なぜかしら、僕はイラクで自殺したアメリカ兵のことを思い浮かべた。多くの兵隊が異国の地で無意味な戦いを強いられて、コンクリートを砕く音どころでない騒音の中で毎日暮らしているのだろうと。それもいつ襲われるかわからないような状況の中で。精神が破壊されても当たり前だ。僕なんかわずか10分くらいでおかしくなってきた。爆弾は飛んでこないと分かっているのに。  工事が終わってから、僕は出ていって、作業をしてくれていた人達に尋ねた。どうしても知りたかったことがあったから。「あなた方は、耳栓をしていないの?」答えは驚きだった。耳栓をしていないのだ。話し声も聞こえないくらいの騒音の中で、黙々と作業をしていたのだ。僕はてっきり耳栓をしているから、平静を保てているのだと思った。難聴まっしぐらは当然のように思えた。  本当に色々な職業があり、皆頑張っているなと思った。僕なんかより余程過酷な仕事をしている。恐らく彼らの数倍困難な仕事をしている人達もいる。彼らの存在があってこそ、人は安全に快適に暮らすことが出来る。お互い様が社会の基本だと思った。与えて、与えられて、助けて、助けられて。そんな当たり前の社会の呼吸が乱れ始めているから、彼らの底のない笑顔がうれしかった。