未完の命

 子供の首をしめること、車で跳ねて苦しんでいる子を放置すること。どこまでこの社会は落ちていくのだろう。この世に産み落とされるだけでは人間になれない。母に愛され、父に愛され、祖父母、おじ、おば、近所の住人に愛されてはじめて人間になれる。どの部分の愛が欠如したのかしらないが、修復されることもなく大人になった者が、いとも簡単に、人の命を奪う。人間になれないまま、身体だけは大きくなってしまった生き物に奪われた命は、70年も未完の部分を残して終わる。もし70年その子が人生を演ずれば、どれくらいたくさんの人を喜ばせ、助け、喝采を浴びただろう。誰にその演劇を終わらせる権利があるのだ。  人を傷つけないようにと、人生のどの部分で僕達は教えられたのだろう。可愛そうな人を助けるようにとどの部分で教えられたのだろう。人としての最低の倫理をどの部分で教えられたのだろう。親が口に出して諭してくれたのか、祖父母がいたたまれずに倫理を説いたのか、近所のお節介焼きのおじさんが教育してくれたのか。或いは学校で習ったのか。いやいや両親はひたすら働いていただけだ。題も分からずに読みまくった本の中に道が示されていたのか。  カラスがツバメの雛を狙っている。自然の摂理だとしても、強いものが弱い者の命を奪うことには耐えられない。だから僕はツバメを守る。日本人は判官びいきで、弱いものに味方する美徳を持っていたのだが、それはもう過去のものになろうとしている。親鳥がえさを持って帰るのをひたすら待っている雛たちの鳴き声が、人間社会の出来事と重なってしまう。