希釈

 オーストラリアの都市部に住む約4万7,000人の男女を6年間追跡した研究から、樹木が多い地域に住んでいる人は、そうでない人に比べて幸福感が強く、健康状態も良好であることが明らかになった。葉の茂った樹木に覆われ、日陰が多い地域に住む人では、追跡期間中に心理的苦痛を経験したとする報告が少なく、全般的な健康状態も良好だった。一方、草地の多い地域の住民では、コンクリートに覆われた地域の住人よりも健康状態が悪いことも分かったという。
 自宅から半径1.6km区域内の面積の30%以上を樹木が占める地域に住む人は、自宅周辺に樹木が少ない人と比べて、緊張感や絶望感、疲労感といった心理的苦痛の症状を新たに経験する確率が約3分の1低いことが分かった。さらに、自分の全般的な健康状態を低く評価する確率も、樹木の多い地域に住む人では約3分の1低かったという。
 この報告を受け、専門家の一人で米ワシントン大学のKathleen Wolf氏は「並木道や公園がある環境に住むと、ウォーキングなどの運動をする機会が増え、また、自然に触れることで日常的なストレスが軽減したことが寄与したのではないか。さらに、こうした環境の住人は、騒音や自動車の排ガスによる大気汚染への曝露から守られている確率が高い可能性がある」と指摘。その上で、「樹木がある住環境は、われわれのウェルビーング(心身が健康で幸福な状態)にとって重要だ」と述べている。

 なるほどとうなづける報告だ。牛窓に帰って40年近くなるが、最近とみにこの報告のような印象を自分でも持っていた。大学を卒業して教授に行くように勧められた京都の製薬会社で働いていたら、又1日だけ席を置いた岡山の大学病院で働いていたら、今の自分の精神的、肉体的な状態を維持できていたかはすこぶる疑わしい。多くの雑多な人間関係を維持するために使う労力は、恐らく僕を大いに消耗させただろう。
 牛窓のどこにいても、太陽の光が届き、緑に包まれ、潮風に当たる。素朴な漁師やお百姓の声を聞き、頭上に鳥が舞う。毎日働きながら、異常に交感神経が亢進することもない。不愉快な出来事に遭遇する確率が低い上に、身体や心を癒してくれるものたちに囲まれている。幸福感を敢えて意識することは少ないが、知らない間に不快を希釈されていた。そうした何気ない積み重ねで今がある。生きた場所が異なっていたら、もうとっくに「今」はなくなっていたかもしれない。