尽誠太鼓部

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 尽誠学園高校の太鼓部のことを尽誠太鼓部と言うらしいが、その演奏を今週の日曜日に善通寺市まで出かけ聴いてきた。丸亀城祭りの野外演奏で偶然舞台を目にして、想像以上の高校生の太鼓のレベルを目の当たりにして聴いてみたいと思ったのだ。学校に連絡してぜひ聴きたいと申し出たら、快く招いてくださった。卒業生の最後の舞台で、いわばお別れ会を兼ねるので、そのような時間が設けられていることを了承してくださいと言われたが、いざその時間を目撃して、多くの感動を共有させていただいた。そして多くの思いも巡った。
 このままプロの太鼓集団に進む生徒もいるのではないかと言うくらい、個人のレベルは高かった。恐らく岡山県のどの太鼓集団よりレベルは高いと思う。愛すべき岡山県のチームはたくさんあるが、恐らくどのチームより上手い。それは甲子園に出場する野球チームが県内の社会人チームより多くの場合強いのと同じ構図だと思う。体力があり、熱意があり、保証された時間があり、友情があれば、あの年齢だと留まるところを知らない力がつく。運動でも芸術でも学業でも同じことが言えるだろう。
 僕は、彼ら、彼女らの一人ひとりの顔がとても美しいことに圧倒された。僕は和太鼓は格闘技だと時々表現することがあるが、時に眼光鋭く、時に笑顔を浮かべ、筋肉の躍動をリズムと同調させる姿は「美しい」と言う言葉一つで表現できる。そして学年を超えての絆、先生と生徒の信頼関係。それをお別れの儀式の中で垣間見せられたときには思わずもらい泣きをしてしまった。部員達の涙は勿論、卒業記念の演奏会に足を運んでいるご家族の方々の涙する声も、会場のあちらこちらで聞こえた。
 なんとなく大学に行くことだけをを目標に、無気力に過ごした僕の高校時代とはまったくかけ離れた光景だった。部活動に加わることなく、勉強に専念するわけでなく、時間を味わうことなく犬みたいに飲み込むだけの3年間だった。何も残せなかった3年間だ。興味を持ったものが無かったから、無感動の日々だった。それに比べて彼ら彼女らの生き生きとした躍動する姿はどうだろう。幸せが飛び散る汗のように輝いている。喜びが空気を震わせて響き渡る。和太鼓に出会えた幸運が青春を彩っている。
 人生の最終コーナーに差し掛かって考える。「もし」があるなら僕は確実に彼ら彼女らの方を選ぶ。青春は燃えていいのだ。燃えるべきなのだ。