火災旋風

 歳とともに体が硬くなるせいか、じっと腰掛けて講義を聴くのも静かなダメージを受けているみたいで、3時間腰掛けっぱなしの後、牛窓に帰ってきた頃には首の後ろあたりが硬直して気分が悪かった。運転中に居眠りをしてはいけないから、缶コーヒーを飲みながら帰ったのも、軽い吐き気を伴った理由かもしれない。情けないが必ず何かをすると何かの代償を払うことになる。その上、ほとんどの場合、代償のほうが高くつく。
 そんな時はウォーキングをして血を下半身に降ろすのがいい。ましてきれいな空気を吸いながらだとストレスも飛んで行くから、効果抜群だ。それを期待して昨日も中学校のテニスコートに出かけ、コートの周りを歩き始めた。歩き始めてまもなく、西の空にまるで柱のように赤く染まった夕焼けが現れた。実際には見たことがないがイメージ的にはまるで火災旋風のようだった。一面が赤く染まるのではなく山から突然に真っ赤な柱が立っているようだった。10年以上ウォーキングしているから、結構変わった夕焼けは見てきたが、昨日の火災旋風もどきは初めてだ。自称、地震雲博士の妻が見たらきっと近いうちに西のほうで大きな地震が起こると予言するだろう。
 僕はその手の予言は苦手だが、その雲の美しさには目を奪われた。自然のいたずらか、自然の恵みかわからないが、しばし歩くのを止めて眺めいった。でもその美しさはやがて物悲しさに変わり、炎のような雲の芸術がやがて暗闇の中に消えて行くことを人生と重ね、孤独感が深まった。講義で老人の心情を先生が面白おかしく教えてくださったが、所詮病気は孤独な闘いだし、その先はもっと孤独だろう。一人で生きて行こうが、カップルで生きて行こうが、この2点ではそんなに差はないと思う。痛いものは痛いし、苦しいものは苦しく、誰もそれを引き取ってくれることなど出来ない。
 自然が作る芸術作品の下を、やがてうなだれて歩く自分がいた。