庶民

 「トマトがやけど(火傷)?」直接僕は話していなかったのだけれど、妻とある農家の方の会話の聞きなれない言葉に飛びついた。トマトが火傷をすると聞いて、興味を持たない方はいないのではないか。言い間違いかも知れないが、専門の方が言うのだから何か薀蓄はあるのだろう。プラスチックで出来たかごに沢山トマトを入れて持ってきてくれたのだが、その中に一部が白くなったトマトが数個あった。今年は特に暑いからトマトが太陽にやられて焼けるのだそうだ。トマトが日焼けすると言われれば何となく分かるかもしれないが、火傷と言われたら想像できない。トマトの場合は、焼けると白くなるそうだ。真っ赤なトマトの中に確かに真っ白になってふやけている箇所がある。どう見てもおいしそうには見えない。彼も「白いところは食べれんよ(食べられないよ)」と言うが、食べる気にもなれない。腐ってはいないが、それと同等の傷みようだ。
 「白くなったところは葉っぱで隠れなかったんじゃ。だから太陽がもろに当たったんじゃ。葉っぱって大事なもんよ!」と無知な僕や妻に説明してくれる。なるほど人間でも日焼けだったら赤くなるが、火傷だったら白くなる。このことを彼は知っていてあえて火傷と表現したのか知らないが、正に的を射ている。日焼けでは間違いだ。彼らの間では共通語なのか、或いは彼の創作なのか分からないが、業種が異なれば風景も全く異なる。それらの多くを見て知るには人生は短かすぎるが、感受性がなければいくら時間があっても触れることは出来ない。若いときに、それこそ常識的には感受性の固まりみたいだったはずなのに、アンテナは機能していなかった。色々な細胞が死に掛けている今になって、多くを感じ取ることができるようになったのは皮肉なものだ。肉体は二十歳で、精神が現状なら、もう少しまともなことが出来ていたのではないかと思う。旨くできているものだ。庶民の庶民たる所以だろう。花は咲かないのが庶民だ。最近の庶民はホラ話さえ咲かせられなくなっているように思う。萎縮の極みで、より弱い者達だけにいきがっている。あわれなものだ。