母のあの顔は、80歳くらいの頃だと思う。まだふっくらとして優しい顔をしていた。微笑んで僕のほうを見ていた。
 直接母の声を聞いたわけではない。誰だったかよく分からなかったが「お母さんが体のことを心配しているよ」と伝えてくれたのだ。ただ誰かが伝えたのは母が直接声をかけれなかったから、実在しない誰かを介在したのかもしれない。でも直接母が僕に言ったのだと思う。
 10年以上前に、相次いで薬剤師2人が辞めて3人分の仕事を2ヶ月近くしたことがある。それこそ4時間睡眠くらいだったと思う。その行き着いた先が原因不明の倦怠感と微熱とパニック症状で、1週間近く仕事を休み、すべてが解決するのにその後長い時間を要した。今、その頃の状況と似ている。4時間とは言わないが、6時前に起き、ウォーキングをし、朝食を済ませて9時の開店まで漢方薬を作る。その後通常の仕事をし、昼食に10分だけあて、夜の7時まで仕事をする。夜はさすがに薬は作らないが、溜めたメールの返事を書く。睡魔と闘いながらだから内容に自信はない。出来るだけ丁寧にお返ししたいが、言葉をつむぐ能力はその時間かなり落ちていると思う。
 その日にやらなければならないことを翌日に持ち越すのは性が合わない。そのあたりは結構潔癖で自分の首をしめがちだ。案の定、軽い焦燥感や苛立ちに襲われるが、かつて克服した経験で今のところ何とか制御できている。寝る前に風呂に入る習慣があるが、毎夜僕は風呂で居眠りをしている。ガクッと顔が落ちることで目が覚めるが、居眠りと言うより失神状態だ。
 ただ、10年以上前と今の決定的な違いはある。そしてそれが救いなのだが、当時は施設の入居者の薬を作る仕事だった。処方箋に従って器械のように作ることだった。ところが今は全く違う。過敏性腸症候群の人たちのための薬だ。その病名があらわすように、人間として感受性に優れている人たちが陥るトラブルだ。正に僕自身も人間であることを要求される。器械である必要があった前回とは全く逆だ。
 モチベーションはあるがに肉体的な保証はない。その不安を僕は母の声を利用して解消しようとしたのか。それとも本当に母が心配してくれ現れたかだ。僕はなんだか後者のような気がする。