一矢

 最初にその言葉を聞いたときに、何を勘違いしているのだろうと思ったし、正直少しだけ不愉快だった。しかし、結局その言葉を別れるときまで何度も何度も聞かされると、不思議なもので最後の方は別に不愉快にもならなかった。
 かの国の女性たちは、来日する前から僕のことを聞いているから来日早々、初めて使う日本語が「オトウサン」だ。だいたい20過ぎから35歳くらいの間の人たちがやって来るから、あながちオトウサンと呼ばれることに違和感はない。しばしば本当の親子かと間違われるから、意外と第三者から見ても違和感はないのかもしれない。
 そのフィリピン人は29歳だから、来日するかの国の人たちの丁度平均くらいの年齢だ。その女性が僕のことを「ヤマトおじいさん」と呼んだ。英語の教師として来日しているから、日本語も少し話せる。間違って使っているわけではない。その女性にとって僕は正におじいさん世代なのだ。でも日本的に考えると、29歳の女性のおじいさんになるにはまだ若すぎる。普通なら80歳前だろう。ちょうそ親が僕の年齢くらいだろう。その女性が僕をおじいさんと呼ぶたびに、一体フィリピンではどのくらいの年齢で親になるのかと考えた。もしかしたら20歳そこそこで親になるのではないかと思ったのだ。とすれば僕だっておじいさんになれる歳に近い。寿命が恐らく短いから早く結婚して早く子供をもうけるのだろう。いわば生き急ぐ国だ。日本みたいに長寿が約束されていて、のんびりと生きることは出来ない。強烈な紫外線の元で暮らし、新鮮な野菜も少なく、柔らかい肉も少ない。そうした過酷な中で育ったその女性のほうが年齢よりずっと老けている。いたずら心でも出して「なんだ、妹よ」と言ってやればよかったが、このニュアンスはあの日本語の能力では理解できないだろう。英語に翻訳する能力は僕にはもっとないから結局は幻のジョークで終わったが、一矢報いてやりたかった。