贅沢

 僕の唯一の従姉が電話をしてきて、母の容態が回復していると教えてくれた。従姉は母の実家に暮らしていて、母が入所している施設が見えるあたりに住んでいる。だから入所も従姉の力だし、見舞いもしばしば行ってくれている。田舎に暮らしているから色々冠婚葬祭には詳しい。全くそのことに僕が疎いことをよく知っているから、今日もそろそろ準備をしておくようにと注意を受けた。言っている単語が全て分かるものでもないから、メモを取って揃えれる物は揃えておこうと思った。  初耳だったのだが、亡くなってお棺におさめるときには着物を着せてあげるのだそうだ。母が持っていた着物なのだが、迂闊にも母の家を芸術家に貸すときに整理して、そのまま廃棄されたらしい。仕方ないから妻の着物を使う予定にしていたが、今日従姉が、おばさんが1枚上等なものをくれたと教えてくれた。ご主人が町長をしていた位だから経済に余裕はあるのだろうが、上等な着物を母のためにくれるというのだから、何かお礼をしないといけないなと従姉に尋ねると「ええ、ええ、そんなことをせんでもええ。もらっときゃあええが」と言った。着た後、返すものならまだしも、一緒に焼いてしまうものを御礼もしないでもらうのは気が引けると言うと、さっきと同じ言葉を繰り返した。買えばどの位するものかわからないが貰うことにした。僕は魂胆があって「それ、若い人が来ても似合うの?」と尋ねた。帯を工夫すればいいと教えてもらったが、そんな能は僕にはない。実は数日前に、3ヶ月だけ滞在するかの国の女性達に何か希望はないかと尋ねると、その中の何人かが着物を着てみたいと言った。妻に頼むと即座に断られた。浴衣なら着せてあげるけれど着物はダメなのだそうだ。理由は僕には分からないが、それなら貰える事になった着物ならどうかと思ったのだ。従姉が灰色の浴衣と言ったような気がするから、よほど老人向けなのだろうが、帯を明るくすればいいという助言がにわかに信じがたい。  下着に足袋にじゅじゅに、戒名代に、タクシー代に、お弁当代に・・・メモを取りながら具体的に教えてもらった。この日曜日に一人お別れをしたから、覚悟は出来ている。できることはしたから、何より牛窓に帰ってきて、40年毎日顔を会わせて暮らして来たから、親不孝息子でもないだろう。僕が懸命に働いている姿を見ていたから、不安もなかっただろう。贅沢など全くしなかった母だが、その生き方を貫けたこと自体が最高の心の贅沢だったと僕は思っている。

https://www.youtube.com/watch?v=0VzpBkWAGy0