山田純平と熱響打楽

 最初の曲が始まってすぐ思ったことは、後の20人近くも頑張って連れて来てあげればよかっただ。こんなにすばらしい和太鼓の演奏が隣町で聴けるとは思わなかった。バスで10分、その後電車で10分、それだけで会場に着けるのだから、メンバーを選抜して車に乗せてくる必要もなかった。全員バスと電車で来てもらえば、全員にすばらしい日本の芸を味わってもらえたのだ。  山田純平と熱響打楽と言う和楽総合芸術集団は、旗揚げしてから間もないから当然情報は少なく、どのレベルか分からないままチケットを買った。ただ、東京辺りでの公演のチケット代は5000円近いと主催者に聞いていたから、それなりの期待はしていた。が、それなりを大きく上回る実力で、僕は勿論、かの国の女性たちも、日本語の「すばらしい」に当たる言葉を連発していた。  今日のコンサートで驚いたことが他にもある。今まで僕は和太鼓のコンサートを50回は聴きに行っている。岡山県は勿論、兵庫県香川県だ。どの会場に行ってもとにかくお客さんがおとなしい。あれだけ迫力ある演奏を聴かされて、よくも正気でおれるなと言うのが僕の感想だ。僕は足でリズムを刻むし、体は揺らすし、手拍子はするし、ここぞと言う盛り上がった場面では奇声を発するし指笛も鳴らす。心の中から楽しんでいるからセーブなどしない。理性を保って聴くなど、もったいなくてできない。下世話な話だがチケット代分は楽しむ。いやチケット代の何倍も楽しむ。最近は一緒に聴きに行っているかの国の若い女性たちも、最後の方になると一緒に奇声をあげてくれる。それが演奏している人たちのエールになることが何となく理解できるみたいだし、それよりも何よりも「オトウサン」の楽しそうな姿を見ると、自分達も一緒に解放感を味わいたいみたいだ。異国の地で何の遠慮もないことが彼女達を勇敢にするのかもしれない。  何処に行っても孤軍奮闘して応援する僕だが、今日の西大寺は違った。「僕」がいたるところにいるし、お客さんの拍手のタイミングもまた僕の拍手のタイミングとほとんど一致していた。時には、僕がつられて慌てて拍手するときもあった。山田純平と熱響打楽と言う名は、知る人には知られているみたいで、実際入場の列の中に岡山県を代表する和太鼓のチームの代表もいたから、総じて客が玄人ぽかったのだろうか。だから絶妙の盛り上がりで拍手が何回も自然発生したのだろうか。  盛り上げ上手の西大寺の観衆に今日はより一層楽しませてもらった。あまりよい印象を持っていなかった町だが、今日のコンサート会場の雰囲気を作ってくれたことで評価を変えなければならないと思った。会場が一体となってなどと言う言葉を時々耳にするが、今日はその言葉を体現できた。どこの会場でも同じようであって欲しいと思う。