勝央金時太鼓保存会

 2年越しか、3年越しか忘れたが、やっと遣り残していたことが片付いた。いつも心に引っかかっていて、いつか必ず実現したいと思っていた。  まだかの国の人を見かけるのが珍しい頃、教会でその女性に出会った。アオザイを着ている姿がとても美しく、目を見張るほどだった。日本語が堪能で、僕の理解を超えていたのは、日本の企業で正社員として働いていることだった。かの国から来ている人たちは皆実習生と言う認識しかなかったので、とてもその待遇が不思議で、尋ねてみた。努力の賜物としか言いようがないが、日本の専門学校にやって来た時に、勉強を中心に生活を組み立てて、決してアルバイトに現を抜かすようなことはしなかったらしい。その努力の結果、企業からの評価を得て、外国人として初めて採用されたらしい。  教会でかの国の人たちのリーダーを任され、仲間が堕落しないように常に同胞を気にかけていた。日本人とも積極的にかかわるようにしていて、同胞からも日本人からも評価を得ていた。  当時、彼女を含め6人の青年達を和太鼓のコンサートに誘ったのだが、あいにくその日が台風で中止になった。以来何度か誘ったが、ことごとくコンサートの日と彼女の用事が重なって行けずじまいだった。今日、総社市であった「太鼓三国志」と言うコンサートが初めて彼女のスケジュールの空欄と一致した。  広島の専門学校時代に和太鼓?を聴いたことがあると言っていたが、まず総社の市民会館に入った時点で喜びの声を上げてくれた。そして子供達のかわいい演奏にも興味をとても示し、山手福山合戦太鼓が始まると、日本の太鼓の実力を理解し始めて、勝央金時太鼓保存会の演奏になると、身を乗り出して聴いていた。そして清麻呂太鼓が始まるとやたらパンフレットの演奏曲順に目をやり、終了が近づいてしまうことを気にし始めた。そして備中温羅太鼓が始まると「オトウサンありがとう、オトウサンありがとう」と何度も繰り返し、感動が伝わりすぎるほど伝わってきた。僕自身もその頃には、懸案が片付いてほっとしたなんて悠長なことは言っておれず、毎年毎年進化し続けている岡山県の太鼓の実力に酔っていた。  今日の一番の収穫は、懸案解決ではなく、勝央金時太鼓保存会の演奏を初めて聴けたことだ。名前も知らなかったくらいだが、実力は十分あり、何で名前が知られなかったのだろうと不思議なくらいだ。若い打ち手が多く、スピードも力強さも十分だった。これからはマークしようと思った。  帰りは岡山市内がかなりの渋滞だったため彼女と多く話したが「お金が沢山欲しいです」と言われた時は夢が一瞬覚めそうだった。でもその理由を聞いて従来よりも増して彼女を評価できた。「私の国は、親のいない子供達が沢山いて、教会でシスターが世話をしています。でもシスターは仕事をしませんからお金がありません。だから私が働いてお金の援助します」  だったら、僕もお金が欲しい。