織田信長

 目の前で大人が泡を吹いて倒れたら慌てるだろう。そんなことに遭遇した翌翌日に話してくれたから、そんなには驚かなかったのかもしれない。ただ、同じテーブルを囲んでいた人だったみたいだから、そのことには驚いたみたいだが。それから何をどうしたのか分からないが、救急車を呼んで搬送してもらったことと、1人の男性がすぐに近寄ってきて「私は医者です」と言って手伝ってくれたことを教えてくれた。医者はそういった場合は必ず救命処置をしなければならないと決められていて、傍観したりその場を離れたりすることは許されない。だからその男性も忠実に決まりを守ったのだ。  癲癇の既往がない人が泡を吹いて倒れたときには、多くの場合脳の中でよからぬことが起こっている場合らしい。その人の場合、脳の動脈瘤が破裂したらしい。しかし幸運にも翌日には意識が戻っていたと息子が言っていた。食事をとっていたところが市の中心部で、基幹病院への搬送も随分と早かったのが幸いしたのだろうが、どうして翌日のことまで息子が知っているのかとそちらのほうが気になる。  成人した子供と一緒に暮らすのは何かと気苦労が多い。全く違う人格を持っているから100%自由だし、事実僕もそうしてきた。子供としての僕も自由だったが、親としての僕も自由を与えていた。ところがふとしたことで同居になったのだが、見なくてもいいものが目に入ってきて、僕が結構大切にしていた自由を侵しそうになる。理屈では完全に理解しているはずのものが、感情に追いやられそうになったりする。その都度自分との葛藤が起こり辛くなる。幸い、来月出て行くそうだから僕の信念を自分で放棄することから免れそうだ。軒先を貸しているツバメのように本能だけで子供を育てていた頃が懐かしいが、いったん巣立ってからは本能とは逆を通さなければならない。理解はちゃんと出来ているのに実践は難しい。そのことを、この3年間に勉強させてもらった。この本能に対しての対応の変化を心理学では本能寺の変と言う。