一昔前

 横浜の姉は薬の注文をしてくる時にはほとんどの場合ファックスだ。太いマジックのようなもので季節の挨拶も書いてくれる。数日前にもらったファックスで面白い文章が書かれていた。ごく普通の女性だが、何気なく書いた文章がなるほどと思わせるものがあった。

 「一昔前とは違う暑さに夏の風情もあったものではありませんね。日本にいながら中東に行ったような・・・・。昔のままの外でのスポーツのやり方をみていると、高校野球などもう夏休みはやめたほうがよいのではないかと思ってしまいます。選手も関係者、応援の人、皆、命がけになってきそうです。伝統のあるスポーツのほうが変えるのが難しくて大変ですが」

 結構真実をついていると思う。もうすでにそのような考えは内部でも言われているかもしれないが、JOCが密室で話し合いをするように決めたように、スポーツしかできない人間が結構役員に就いているから、改革なんてのをする力は乏しい。ピッチャーの投げる数さえ変えれないのだから、子供を犠牲にしても保身に走る輩だ。
 同じことはこと汚リンピックでも言える。あの欺瞞に満ちた復興汚リンピックだからもともと興味はないのだが、観客の中にはかなりのダメージを受ける人が出ると思う。所詮、政治屋が大手土建屋のために誘致した汚リンピックごときで、犠牲になってはいけない。あの巨額のお金は、土地や家や仕事を奪われた福島の人たちに使ってもらうべきだ。放射能を撒き散らした側の奴等が何で今までどおり甘い汁を吸えるのだ。

感謝

その話を聞いて、こみ上げるものがあったが、気付かれないように堪えた。
 殺処分寸前に我が家にやってきたノンちゃんは推定2歳らしいがよくはわからない。徳島からやってきた当初は部屋の隅に縮こまり目を合わせることも無く恐怖の塊のようだった。それが1週間、娘達の愛情をいっぱい受けたら、目を逸らせる事もあまり無く、部屋の中を好奇心で歩き回ったりするようになった。首輪をされることが恐怖で散歩にも行けなかったが、今では用を足したくなると遠慮気味に声をあげ人を呼ぶようになった。
 薬局の窓ガラス越しに散歩に出かける後姿を見ていると、昨日今日は尻尾が水平になって歩いている。それまではお尻を隠すように尻尾が後ろ足の中に格納されていたが、今では水平になっている。まだ上には上がらないし、左右に振ることも無いが、慣れるのに半年くらいかかるといわれていたが、急ピッチで我が家(実際には娘達)の犬になっている。
 今日、岡山で野犬の保護などをボランティアでしている薬剤師が漢方薬を作りに来た。当然、めっぽうその道に詳しい女性だが、いっぱいアドバイスをしてくれた。次に犬を飼うときはぜひ保護犬をと言うのは彼女の影響だが、彼女の見立てでは、半年も待たずにすでにいい子になっているそうだ。そしてとても利口そうとお墨付きをもらった。これは連れてきてくれた徳島の方も言ってくれた言葉で、慣れている人なら一目見れば分かるそうだ。そうしたうれしい言葉を聞きながら涙を誘うような会話も二人の間で行われていた。
 ノンちゃんが一度だけ尻尾を上げて左右に力強く振ったことがあるらしい。どのタイミングでそのようなことをしたかと言うと、バッタを捕まえて食べた時らしい。娘曰く「やったって感じでハイテンションだった」そうだ。僕の想像だが、野犬で山で暮らしていたときに、バッタはご馳走だったのだ。どのような集団で生きていたのか分からないが、母犬も兄弟姉妹の犬もいたのかもしれない。親の庇護を離れてから自分で餌を見つけていたのだろうが、バッタをしとめて食べるときの喜びようが尋常でないように娘には写った。もっともっとご馳走を食べさせてやりたい、何も心配なく過ごさせてやりたい、そう思ったときにこみ上げてきたのだ。
 不憫ゆえに、絶対に幸せにしてあげたいという気持ちが強く沸いてくる。僕はそうしたことが苦手な人間だと思っていたが、ノンちゃんを目の当たりにすると人並みの心くらいは持っていたのだと気がつかされる。
 クリが逝き、モコが逝き、もう犬とは暮らせないと思っていたが、又心の安らぎをもたらしてくれる存在がやってきた。感謝。

阿漕

 その男は随分と運のいい人間だと思った。
 高速道路で例のあおり運転をして、おまけに暴力を振るって逮捕されたが、本人にとって警察に無事捕まってよかったと思う。もしあおって止められた運転手が、止めた男よりより暴力的な人間だったら返り討ちにあっていただろう。より冷静な人間なら、暴力を振るった後、背中を向けて自分の車に戻ろうとしてたときに、後ろからひき殺されていただろう。雑踏で見つかったときには多くの通行人にリンチに会っていただろう。
 市井の普通の人々がいつも忍耐強い被害者とは限らない。堪忍袋の緒はもうかなり切れかけている。彼らは臆病ではない。普通の人が大切な人を守ろうとして立ち上がったほうがよほど怖い。我慢に我慢を重ねているうちにより冷徹になる。一時の怒りを我慢できない人間なんかよりはるかに凶暴だ。
 あまり阿漕なことはしないほうがいい。今のままなら現代の必殺仕置き人が現れる。

指笛

 毎晩、ユーチューブでエイサーを見てからでないと寝なくなってどのくらい経つだろう。恐らく、もう半年以上繰り返している夜の儀式だ。いまさら太鼓を練習することはできないが、指笛ならできるのではないかと思って、それこそユーチューブで指笛の吹き方をいくつか見て真似てみた。僕は和太鼓のコンサートでは指笛もどきで、応援をするのだが、エイサーの指笛は、とにかく音が高い。僕のと1オクターブくらいは違うような気がする。だから沢山の太鼓の音に負けることなく響き渡る。嘘か本当か知らないが、数キロ先でも聞こえると豪語している人もいた。確かにあの高音だと遠くまで聞こえるかもしれない。
 昔ならわざわざ沖縄まで行って、名人に頼まなければならないが、今は簡単にユーチューブで我が家で練習できる。機械音痴の僕でも、現代技術の恩恵はいっぱい受けていて感謝しなければならない。幾人かの指笛の動画を見たが、微妙に吹き方が違う。ただし、理屈はよく分かった。普通の笛や楽器と同じで、狭いところを空気が通れば音が鳴るのだ。この理屈は結構シンプルだが押さえておかなければならない点だと思う。
 それぞれ名人達は、練習すれば簡単に吹けるというが、何事も同じでそんなに簡単ではない。ちょっと練習すると脳の酸素が不足するのか失神しそうになるから、数分が限度だ。沖縄の人みたいに、エイサーのリズムに合わせてまるで楽器のように指笛を鳴らしてみたいが、音すらでないのが1ヵ月後の自分だ、
 ところが今朝何気なくやってみたら、今までの自分の指笛とは全く異なる高音が出た。それも何回も連続で。まさに沖縄の音だ。偶然出たのかと思い、何度か再現してみたが5割の確率くらいで音が出る。「何気なく」と言うのが、意外と力が抜けていてよかったのかと、自分で結論付けたが、むきになって練習しても出なかった音がいとも簡単に出てしまった。
 毎日多くの過敏性腸症候群の方を始め病気の方に「力を抜く」ように指導しているが、色々なことにそれは役立つと思う。力んでやって力が発揮できることなど無い。古来狩の時くらいしか使わなかった神経を、現代人は四六時中使っている。それで健康でおれる程、現代人は強くはない。

 ニュースを見ていて素朴な疑問を持った。僕らが幼い時に泳ぎに行くのは海水浴場か近所の海だった。海水浴場はさすがに砂浜だが、近所の海は岸壁だから真下でも水深が何メートルもある。石段以外に足場は無い。船が係留されていて、船からも飛び込んだりしていた。これが小学高学年の夏休みの光景だといったら信じられないかもしれない。
 もちろん親に連れられて海に行ったりしない。小学高学年の子供が低学年を連れて行く。10人くらいで行動していたように思う。全く泳げない子供を6年生が連れて行っていたのだ。子供も当たり前、親も当たり前の今から思えば「とんでもない」光景だ。
 そんな元海の子にとって昨日のとしまえんの事故は、それこそ信じられない光景なのだ。と言うのは、全く大人の目が無いところでも、子供同士の掟があった。それはいかだの上では遊ばない。船の下を潜らないの2つだ。どちらもいかだや船底に張り付いて動けなくなるからと言う理由だった。確かめたことが無いから実際にどうなるのかいまだ分からないのだが、背中が張り付いて動けなくなるという言い伝えは、かなりの恐怖感を与えてくれた。だから好奇心はあったが決して一度もその掟を確かめたことは無い。もっともこの掟は、かつての犠牲者の不幸があってできたもので、いかだの上で遊んでいた隣町の子が、木の間から落ちて亡くなったことなどが影響している。
 ニュースを見ていてすぐに浮かんだ違和感は、背中が引っ付いて動けなくなるいかだや船底と同じような構造の遊具だ。確かにいかだでもないし船の底でもないが、同じ理屈だと思う。ましてライフジャケットみたいなものを着ていたら、ただでさえ浮かぼうとして潜ることができないからなおさら脱出しにくいだろう。
 50年以上前の子供の掟を持ち出して想像力を逞しくするのは失礼かもしれないが、大都会の有名な娯楽施設で起こった不幸に、半世紀以上前の子供の掟が役に立つならと思って書いてみた。

 

殺処分

 なるほど、テレビで何度か見たように、野犬だった過去を持つと、人間は単なる敵でしかないのだ。どれだけ脳裏に、人間は怖いものと言う記憶が詰め込まれているのだろう。怯えた様子だけが伝わってくる。尾を下げ、目はそらせ、隅に隅に逃げていく。とてもかわいい顔つきをしているのに、恐怖以外の表情をしない。
 昨日徳島県から殺処分寸前で保護された犬がやってきた。よりによって元野犬を選ばなくてもいいだろうと思うが、怯えた様子を目の当たりにすると、何とかこの犬に今まで失った幸せ以上のものを与えてあげたいと思った。恐らく娘はその目的のために引き取ったのだと思う。僕は頭をなでるくらいしか出来ないが、その僕でも、この犬を幸せにしてあげたいと強く思った。
 幸い心優しい娘と、犬語が分かる妻がいるので、保護犬のお世話をしている人が言う「半年くらいかかる」は短縮できるのではないかと楽観している。心を閉ざした犬が信頼関係を築き野生の本能の「逃走」の心配がなくなるのは半年くらいかかるらしい。その間スキンシップも取れないのかと残念に思ったが、娘と妻ならやってくれるだろう。
 やってきたときから甘え上手のいわゆるペットしか経験は無いが、一匹の犬の命を救えたことはなんとも言えない喜びだ。怖くて今は出来ないが、頬ずりをするくらいには、仲良くなりたいものだ。

尽誠太鼓部

過敏性腸症候群、うつ病のご相談は栄町ヤマト薬局まで

 尽誠学園高校の太鼓部のことを尽誠太鼓部と言うらしいが、その演奏を今週の日曜日に善通寺市まで出かけ聴いてきた。丸亀城祭りの野外演奏で偶然舞台を目にして、想像以上の高校生の太鼓のレベルを目の当たりにして聴いてみたいと思ったのだ。学校に連絡してぜひ聴きたいと申し出たら、快く招いてくださった。卒業生の最後の舞台で、いわばお別れ会を兼ねるので、そのような時間が設けられていることを了承してくださいと言われたが、いざその時間を目撃して、多くの感動を共有させていただいた。そして多くの思いも巡った。
 このままプロの太鼓集団に進む生徒もいるのではないかと言うくらい、個人のレベルは高かった。恐らく岡山県のどの太鼓集団よりレベルは高いと思う。愛すべき岡山県のチームはたくさんあるが、恐らくどのチームより上手い。それは甲子園に出場する野球チームが県内の社会人チームより多くの場合強いのと同じ構図だと思う。体力があり、熱意があり、保証された時間があり、友情があれば、あの年齢だと留まるところを知らない力がつく。運動でも芸術でも学業でも同じことが言えるだろう。
 僕は、彼ら、彼女らの一人ひとりの顔がとても美しいことに圧倒された。僕は和太鼓は格闘技だと時々表現することがあるが、時に眼光鋭く、時に笑顔を浮かべ、筋肉の躍動をリズムと同調させる姿は「美しい」と言う言葉一つで表現できる。そして学年を超えての絆、先生と生徒の信頼関係。それをお別れの儀式の中で垣間見せられたときには思わずもらい泣きをしてしまった。部員達の涙は勿論、卒業記念の演奏会に足を運んでいるご家族の方々の涙する声も、会場のあちらこちらで聞こえた。
 なんとなく大学に行くことだけをを目標に、無気力に過ごした僕の高校時代とはまったくかけ離れた光景だった。部活動に加わることなく、勉強に専念するわけでなく、時間を味わうことなく犬みたいに飲み込むだけの3年間だった。何も残せなかった3年間だ。興味を持ったものが無かったから、無感動の日々だった。それに比べて彼ら彼女らの生き生きとした躍動する姿はどうだろう。幸せが飛び散る汗のように輝いている。喜びが空気を震わせて響き渡る。和太鼓に出会えた幸運が青春を彩っている。
 人生の最終コーナーに差し掛かって考える。「もし」があるなら僕は確実に彼ら彼女らの方を選ぶ。青春は燃えていいのだ。燃えるべきなのだ。