領域

 このところ牛窓も雨が多いから、中学校のテニスコートでのウォーキングもできなかった。昨日から雨が上がっていたので今日は十分コート周辺は乾いていた。コートを避けてその周りを歩くのだが、そして主に歩くのは、4面あるうちのほとんど使われていないコートの周辺だ。そのコートの中には雑草が生えているが、周辺は黒い苔が生えていて、本当に乾ききらないと滑って危険なくらいだ。ただ整備の手が届かなくて、そのコート周辺が乾ききっているのはめったに見ない。下手をすると数日池状態の時もある。
 そこを今朝歩いていて、主にコートの中に白いものがたくさんあることに気が付いた。砂浜にまるでピーチパラソルが点在しているかのような光景で、真っ白の茸が、あるものは傘を開いて、あるものは傘がまだ閉じられていて、大きさも直径数センチから5センチくらいとばらつきがあった。記憶は定かではないが「キノコの森」と言うようなチョコレートがあったように思うが、真っ白なキノコの森がコートに点在していると想像していただければ光景を思い浮かべてもらえるかもしれない。
 見方によれば綺麗でもあるが、見方によれば過疎の町を象徴しているようでもある。主がいなくなったテニスコートで、踏まれることもなく堂々と姿を現すことができるのだから。本来なら生徒たちの走り回る靴の犠牲になるところだが、天敵をなくした生命力を誇示しているようだ。
 早朝歩くことで多くの鳥たちに会える。それだけで幸せを感じられるくらいなのに、今朝は「キノコの森」に出会えた。人間が奪い続けてきた領域を次第に生き物や植物たちに返しているような気がした。

豪雨

 またまた九州で豪雨だ。毎年どこかで繰り返される年中行事になってしまった。降る雨の量が増えたのか、土手が弱くなったのか分からないが、こんなにもろかったのかと不思議な気がする。川のない僕の町では、あの濁流は目にしたことがないから、かなりの恐怖だと思う。それを毎年のように指をくわえて、いや知らぬ顔をして自分たちの懐ばかりを潤わせたのが汚部をはじめとする痔見ん党と金平糖と、疑心の会だ。アメリカのカジノが日本でギャンブルで金を巻き上げるのには協力するが、水に流される橋も、水で削られる土手は直しもしない。
 何を恐れたのか知らないが、経済活動を封鎖して、おまけに金を配りどれだけの金を使ったのだろう。それだけあればかなりの公共事業ができたのではないか。コロナで亡くなる人の何日分が、今日熊本の山間で亡くなったのではないか。大金持ちや小金持ちにまで、欲しがられもしない金を配って、それで票をつなぎとめると言う唯一の目的がかなえられたのかもしれないが、山を守り、森を守り、田や畑を守った人たちが亡くなった。身内や大企業にしか思いを寄せないあいつらに殺されたようなものだ。
 強いものには強く、弱いものには優しく。格好の良い生き方を多くの人に見せてもらいたい。

香港

 香港で反中国的な行動や言動をしたら、終身刑まで科せられるようになった。なんて気の毒だと思う。反中国などと言うと、あたかも中国と言う国家を想像してしまうが、そんな抽象的な概念でしかないものに対してではなく、反金平糖だ。反共産党と言っても、漠然とした組織ではなく、今の今、甘い汁を吸っているやつらのことだ。
 あたかも政治集団に対してあらがう者たちを罰するみたいに言うが、組織ではなく人間にとっての抵抗を罰するものだ。ひらていに言えば「俺がうまい汁を吸っている間は、俺の邪魔は絶対にさせねえ。もし俺の邪魔をしたやつは、警察や軍隊を使ってでも刑務所にぶち込むか殺すかして、絶対許さねえ」と言う法律だ。金平糖が10数億人の自由と富を奪うってことだ。
 汚部はそんな金平糖を日本に呼びたかった。そのためには汚リンピック中止で飛行機も飛ばないとなると野望がとん挫する。だからしつこく汚リンピックもやると言っていた。奴らは根底ではそっくりだ。自分のためなら国民の自由や命や財産などどうでもいい。むしろ私のために私財も命もなげうってと言う奴らだ。どちらの国の人間も、どうしてそんな人間を許しているのだろう。日本もいずれ中国のようになるかもしれない。一生刑務所。そうならないように自由に発言できるこの国を汚部から守ろう。

熱湯

 熱湯を入れたらコップが瞬時に割れた。長い間見たこともない光景が起きた。
 煎じ機で作った自分用の薬を飲もうとコップに移した途端、ガラスコップが二つに割れた。幸い手に持っていなかったので熱湯を浴びることはなかった。
 決して古いコップではない。綺麗な模様が施されているから、そして色違いの同じようなコップがあるから、何かの祝いでいただいたか返礼品だろう。決して粗末なもののようには見えない。ただし、今はどこで作っているかわからないものばかりだからすべての製品に信頼を置くのは、はばかられる。ただし、コップが割れる寸前までは製品に全幅の信頼を置いていたのが、この何十年の僕(日本社会)だ。
 もし傷があったのならそれはそれでいいのだが、ひょっとしたら、そもそも耐熱ガラスではなかった?そんな製品が今の時代に存在しているのだろうか?存在していたのだろうか?とても珍しい経験をした。
 だがこのところ起こっている社会現象のほとんどは、この耐熱処理を施していないガラス製品が存在し、もろくも熱湯をかけられただけで割れてしまうことに酷似している。繰り返される風水害も、ウイルスの襲来も、すでに克服されたかのように誤解していたものばかりだ。強靭な土木事業や強靭な医学で克服したと、できると高をくくっていたことばかりだ。割れないはずのコップがいとも簡単に割れる。劣化を待たずともこの国はいとも簡単に割れてしまう。とどめを刺すのは何なのだろう。

捻挫

 シャッターを下ろしてすぐに、テニスコートに向かったが、足首が痛い。だが、いつものウォーキングは欠かせない。何とか血流を盛んにして免疫が落ちないようにとか、梗塞を防ぐとか、足の筋肉の衰えを防ぐとか、いくつもの報酬を求めて20分間ひたすら歩く。だけど今日は足を引きずりながらのスタートだった。
 いつ捻挫したのか実は気が付いていない。仕事中だとは思うがその瞬間を覚えていない。今日は応援薬剤師のおかげで、従来の疲労程度で済んだ。このくらいならまだまだやれると自信をつけたが、あれを一人でと言われればその日のうちにはすまなかっただろう。無理はしていないはずだし、うっかりもしていない。久々に軽い体を喜んで、結構動いたのも確かだが、捻挫するほどそもそも快活ではない。
 痛い足をかばいながらかなり不自然な歩き方をした。テニスコートの脇を周回しているうちに、幼いころ捻挫をしてずいぶんと治らなかったことを思い出した。小学校のころだ。当時だから何も治療もせず、ひたすら自然治癒を図ったのだが、結構長い間治らなかった記憶が残っている。当時だからちょっとのことで病院にかかるようなことはなかったが、長い間治らなかったことだけ覚えている。その記憶がよみがえった。人生のスタートのあたりと、ゴールのあたりで同じことを繰り返したことになる。
 20分近くなると、痛みが少し楽になってきた。痛いのを理由に動きを抑えると炎症物質が患部にとどまり余計痛くなると、余裕の解釈をしながら家に帰ってきたのだが、家に着くころにはまた痛みが復活した。
 理屈はどうでも痛いものは痛い。明日薬局の中でいつものように動けれるかどうかが、ディズニーランドが再開したことより重要だ。

週刊誌

 ある週刊誌に、山本太郎都知事選出馬を揶揄して「後出しじゃんけんで負けるものはいない」としたり顔で記事が書かれていたらしい。どういう意図かと言うと、従来の選挙では、形勢を読みながら勝てるとわかって立候補を満を持してするから、最後に立候補した人が必ず勝ってきたと言うのだ。それがどうしたと思うのだが、この記事を書いたのには大いなる裏目的があり、落選した山本太郎のイメージの悪化を、より図ろうと言うものだ。よほど山本太郎の存在が困るのだろう。痔見ん党の手先みたいな出版社なのだろうか。僕は週刊誌を読んだことがないからわからないが。
 僕ら凡人はこんな、いわば言い古された言葉を聞くと素直に受け入れてしまう。「後出しじゃんけんで負けたものはいない」は、いわば選挙の常識みたいなものだから信じてしまう。ところがこれに一瞬にして異を唱えた人物がいる。ごく普通に話していてその話題になったのに、当たり前のように出てきた言葉に驚いた。その人は皆さんもご存じの?東大教授の安富歩教授だ。「後出しじゃんけんだから負けるのは簡単だ」と言われたのだ。「なるほどなあ!」ありきたりの言葉で感激。
 僕はパソコンの操作が苦手で、ユーチューブの番組を張り付けることは出来ないから、下にある日の番組のタイトルを張り付ける。ぜひそれを見て、いま日本や世界で起こっていることを正しく理解する判断材料にしてほしい。そうしないと僕ら凡人が、まるで女王バチに貢ぐ働きバチで一生を終えることを余儀なくされていることに気が付かないまま人生を終える羽目になる。汚部みたいな悪党に貢ぐハチにはなりたくないだろう。アホコミが真実を隠す役割を担っているのだから、暴いていくしかないだろう。その大いなる参考になる。

東大教授と語る【オリンピック廃止論】オリンピックは中止では無く廃止だ!安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高。

混在

 そうか、こうしたアプローチも混在していたんだと気が付いた。別に悪い気持ちはしなかった。むしろ今まで解せなかったことのヒントをもらった気がした。
 毎日のように相談メールが入る。多くの人は郵便番号、住所、氏名、電話番号をすべて書いてくれるが、時に名前とアドレスだけの人もいて、その次には電話番号を書いてくれている人もいる。もうちょっとと言うところで足踏みをしているのは、番地だけを空白にしている相談者だ。
 そうした方はかつて、同じように相談して何か不快な経験をしたのだろう。何かを売りつけられそうになったのかもしれない。用心深さが、今の世相を反映している。
 つい最近問診をして処方を決め、最終的な判断を待っているところに「実は興味本位で相談した」とメールで連絡があった。だから飲むことは出来ないと言うのだ。僕はそれはそれでいいと思うし最終的には経済が決定権を持つから、結果飲めないことはしばしば経験するところだ。その人みたいに言ってくれれば、数回にわたり頂いた情報は責任をもって消すことができる。
 今までもよくあることだったのだ。僕はパソコンが苦手だから、最終決断をくれなかった場合、僕のパソコンの技術不足のせいだと思っていた。ところが今回の経験のように、すべてが僕の落ち度でそうなるのではないとわかった。従来なら遠慮気味に、違う手段で連絡をいとっていたが、実は興味本位で相談したような、慰めが欲しかったような人も含まれているなら、まるで僕の大の苦手の「深追い」などしなくて済む。
 僕の薬を本当に飲んでみたい人ができるだけオープンに依頼してくれればいい。家賃ゼロ、低賃金、浪費なしの僕が、物売りになるようなことはないのだから。