綱渡り

 福島の原発事故を巡って国連人権理事会は、放射線量が高い地域への子どもや女性の帰還をやめるよう日本に求める声明を発表しました。

  国連人権理事会・トゥンジャク特別報告者:「我々は今後、福島で生まれ育つかもしれない子どもたちの健康について特に心配している」
  国連人権理事会の特別報告者は25日、福島第一原発の事故の後、日本政府が避難指示の解除要件の一つにしている「年間20ミリシーベルト以下」という被ばく線量について、事故の前に安全とされていた「年間1ミリシーベルト以下」にすべきだと述べました。そのうえで、子どもや出産年齢の女性について、年間1ミリシーベルトを超える地域への帰還をやめるよう日本政府に要請しました。これに対して日本は、「帰還は強制しておらず、放射線量の基準は国際放射線防護委員会の勧告に基づくものだ」と反論しました。

 外国の良識ある人間にとってみれば、福島の異常は耐え難いのだろう。放射線が飛び交っている地域で人が生活させられていることは耐えられないのだろう。何度も言うが、昨日までは時速40kmの規制区間が今日から800kmでもいいと言われている様なものだ。誰だってわかるこのトリックをどうして放射線だけは信じてしまうのだろう。信じた振りでもしないとその土地から逃げ出さなけらばならないとわかっているから、知らぬ振りをしているのだろうか。新しい土地と家と仕事を得るために金を出せと、国や東電に言う勇気がないからか。復興オリンピックなどと政治屋土建屋にいいように使われて、寿命を縮めていいのだろうか。ぞろぞろ発ガンし始めるころには、アホノミクスや誘致で儲けたやつらは死んでいる。いったいそのころ誰にうらみつらみを言うつもりなのだろう。
 アホノミクスが蔓延したころから、この国では金持ちと権力者はどんなに悪いことをしても責任もとらなければつかまりもしないようになった。庶民だけが些細な罪で捕まり、貯金もできないような綱渡りのような生活を強いられ、外国人労働者と競わされている。そのうち外国人労働者よりも下の階層を形作るのだろう。あなたの子や孫が、家畜のような生活を強いられる。

 サウジアラビア人記者、ジャマル・カショギ氏=失踪時(59)=がトルコのサウジ総領事館で死亡した事件について、同国のムハンマド・ビン・サルマン皇太子(33)は24日、リヤドで開かれた投資会議で「非道な犯罪だ」「心が痛む」などと述べた。記者死亡への関与も疑われる皇太子が、事件について公に発言したのは初めて。
 
 よくもこんなことが言えるし、よくもこんなことを言う人間を王子などともてはやすものだ。北の将軍様と同じだ。哀れな国民だ。殺人を実行した人間達も闇の葬られるのか、或いは影で優遇されるのか。人を殺して罪に問われない人間がまだまだこの世界には存在するのだ。
 こんなのに比べれば、アホノミクスの悪行もたいしたことはないように見えるが、彼もまた法律を守るべき人間達を自分の意に沿うように仕向けた。殺人ではないが、国家の金や人材を自分の欲望のために使ったのは大罪だ。
 世のため人のため、世間から消えて欲しい人間のリストにサルマネも加えなければならない。プー沈、金平糖、カルタ、北の将軍様、アホノミクス・・・

別れ

Aさんへ

あなたを神戸の街中で見失ったことが、一番の印象に残っています。日本語が随分と理解できるらしいですが、シャイなあなたは結局お父さんの前で日本
語を使うことはなかったですね。仲間から頭がいいと言われていましたよ。国にお子さんを残してよく働きましたね。恐らくそのお子さんのために一所懸
命だったのでしょうね。お父さんには制服姿の貴女の印象が強いです。3年間よく頑張りましたね。やっとお子さんと一緒に暮らすことができますね。あ
なたの日本での経験もお子さんにとってはよいお土産になります。お子さんを大切に、そしてあなた自身も大切に暮らしてください。
                                                             お父さん
Bさんへ
ある日、偶然 あの広い寮のリビングであなたと2人だけの時間がありました。折角あなたと2人でおれたのに言葉が通じなくて困ったなと思ったときに、
あなたがスマフォを持ってきて、スマフォに向かって喋り始めました。すると日本語に変換され、僕の言葉もベトナム語に変換されることを知りました。
そしてスマフォを通して話すことが出来ました。その時に、僕がどこか遊びに連れて行ってあげようかと提案したときに、あなたは「いいです」と断りまし
た。僕は驚いたのですが、その理由を聞いてうれしくなりました。あなたは日本で沢山働いて、お母さんを楽にして上げたいと言いました。そんな言葉を
今ではなかなか日本では聞けません。あなたは黒い長い髪と同じで、日本にいながらベトナム人の心を持ち続けた人です。そうしたあなたをお父さんは尊敬
しています。そんな人と3年間知り合えたことをとても幸運に思っています。ベトナムに帰っても今までどおり家族を大切にして幸せ一杯で暮らしてくださ
い。
                                                            お父さんより
Cさんへ
あなたの想い出は第二寮で小さな机に向かっている姿です。とても熱心に勉強していましたね。どうせ3年間外国で暮らすのだから、多くのものを知識とし
て持って帰ればいいのに、なかなか皆さん目に見えないものの価値を見出すことが出来ません。あなたはそれをこつこつ実践していましたね。実際に得た知
識もさることながら、その努力こそが大きな宝物になります。人は一生勉強です。ベトナムに帰っても好奇心を持って多くのことに挑戦してください。未来
は開かれていますよ。
                                                             お父さん

 

若い友人

〇〇〇さんへ

 3年間ご苦労様でした。あっという間の3年間でしたね。沢山の思い出がありますが、是非あなたに伝えたいことだけ書きます。
 この3年間は、過去のどの時期よりも寮の人たちと親しくなったと思います。それはあなたの通訳としての能力だけでなく、人間性によるものが大きかったのです。あなたは過去のどの通訳よりも、寮の人たちに溶け込んでいました。通訳と言う肩書きを忘れてしまいそうでした。それだけ皆と仲がよかったのでしょうね。恐らくあなたが自分の肩書きを鼻にかけずに謙遜だったからだと思います。持って生まれた明るさも手伝っていたのかもしれません。おかげでお父さんは多くの寮生と一杯話をすることが出来ました。彼女達の心模様を知ることが出来て、お父さんがお手伝いできることも見つけることが出来ました。何よりあなたの同時通訳のおかげで、彼女達に多くの笑いを届けることが出来たと思います。異国で頑張る人たちに心のプレゼントをしたかったので、単に機械的に通訳するのではなく、お父さんの意図するところまで汲んでくれて通訳してくれたことに感謝です。彼女達の表情を見て、お父さんの心がいつも正確に伝わっていることを感じていました。人間と人間としての付き合いが皆と出来たのはあなたのおかげです。
 あなたに教えられたこともあります。多くの中で一番印象深いことはあなたがしばしば口にした「人それぞれ」と言う考え方です。お父さんは、貴女方とのかかわりでベトナム人を一くくりで判断しがちでしたし、逆もそうだったと思います。でもあなたはいつも冷静に「人それぞれ」と言いました。おかげで皆を好きなままで今もおれます。多くベトナム人がやってきて、多くの不快な出来事も起こしていますが、日本人と同じように「人それぞれ」と思うことにしています。なんだかそう思うと、ほとんどのことがたいしたことでないように思えてくるので不思議ですね。ベトナム人の貴女に日本語でまじないのような言葉を教えてもらいましたね。
 あなたとお父さんの年齢の違いを超えて、いみじくも同じ経験をしてしまいましたね。お父さんの場合は大往生の母親ですが、あなたはまだ若いお父様を失いました。同じ喪失でも哀しみの深さは大違いです。悲しみをこらえていたあなたの姿は目に焼きついています。お父さんに本物のお父さんの代りはできませんが、少しでもあなたの悲しみが癒えたらいいなと思っていました。
 3年前にあなたが来日した頃、将来の夢を尋ねたことがありますね。あなたはベトナムの貧しい人たちのために食事を作ってあげる施設を作りたいと言っていました。崇高な意思を持っているんだと感心しましたが、いつか将来それが叶うことを祈っています。これからどんな道を歩むか分かりませんが、世のため人のためになるようなことを選択できる能力と心をあなたは持っています。いつかそんな知らせがベトナムから届いたら、お父さんも空を飛んでいくかもしれませんよ。
 あなたは日本語が出来るからいつでも話すことが出来ます。時間に余裕があるときには連絡してください。遠くに帰って行きますが、あなたはいつもお父さんの心の中にいます。あの重い寮の扉を開けなくてもいつでもあなたには会えます。
 日本に来てくれてありがとう。お父さんの前に現れてくれてありがとう。お父さんの若い友人〇〇〇さんへ!

                                                     お父さんより

 

ごめん

 薬剤師の仕事がそんなにしんどいとは思えないが、実は最近の僕は本当にしんどい。理由は分からない。これが年齢と言うものだろうかと、自分で納得できるものを探しているが、毎日が未知の領域だからなかなか答えは出てこない。しかし、少なくとも数ヶ月前まではこんなにしんどくはなかった。メールをチェックし返事を書き、薬を作るだけだ。実際に薬局に来てくれる人とは腰掛けたまま応対するから、そんなにしんどいはずがない。何に疲れているのだろう。休日には必ずどこかへ出かけているのが、このしんどさの原因だろうか。だとしたら閉じこもってひたすら体力の温存を図ればいいのだろうか。心を解放することもなく、体力はつくものなのだろうか。
 昨夜初めて意図的にブログを書くのを止めた。恐らくブログを始めてから初めてのことだ。あの時間に文章を書く体力がなかった。その前に夕食を食べることすら出来なかった。口元まで肉を運んだが一口も食べれずにやっとの思いでフトンまで行き眠った。寝ていても悪寒と熱感が交互に襲ってきて、自律神経の乱れが激しいことに気がついた。朝起きれたが、仕事中に倒れそうになり、15分くらい2階に上がって横にならせて貰った。その後思いつくままに薬を飲みまくって1日何とか持ったが、心細い。いっそのこと倒れれば今の仕事から解放されるのかと思ったりした。
 漢方薬は体力よりも年齢で習熟度が上がり、又近隣の薬局が廃業を重ねるから、遠方から漢方薬を求めてやってくる人が増えた。過疎の町で薬局を開いているが、漢方の世界では過疎地ではないらしい。家族が心配して夜間の電話はかからないようにしてくれた。今までの当たり前が当たり前でなくなった。ブログも今日心配してくれたある方から電話がかかり、毎日書くと決める必要はないといってくれた。僕はその助言に従おうと思う。もう潔癖で生きていく体力は持ち合わせていないことを知らされたから。ブログにこのことを告知したらいいのではないですかと言う助言に従って、今日この文章を書かせていただいた。ごめん。

 直径2メートル、深さ30cmの円形の穴を見つけたら、何の穴かと思うだろう。ただ、これが畑の中にあるのならすぐに猪が掘った穴だと分かる(らしい)。
 今日、農協の職員が自分の畑に掘られた穴について教えてくれた。牛窓の農協に勤めているが、住所は牛窓ではないらしい。しかし、もう恐らく猪が出ない所のほうが少ないのではないか。牛窓でも話にはよく出てくるから、必ずいる。
 それだけの穴を人間に掘ってみろといわれると、後に引く。機械で掘るのならまだしも、手作業では無理だ。猪の力強さには脱帽するが、その穴に雨で水溜りが出来ると、体の掃除をするそうだ。虫でもいてそれをとるのだろうか。その穴の傍に行くととても臭いそうだ。傍どころかけっこいう離れたところでも猪の体臭はきつくて、「臭いですわ~」と実感を込めて言っていた。
 「もう、夜間に畑を見に行こうとはおもわんです」と言っていたが、当然だ。向こうは夜行性だから夜にはめっぽう強い。襲われでもしたらたまらない。ただ好き放題させるのもいやだろう。こうなれば猟師になるに限る。鉄砲の弾でないと太刀打ちできない。猟師も漁師もいる(要る)町

紅葉

 もう何回も訪れているのに、そしてその道案内ももう何回も見ているはずなのに、いまだ足を踏み入れたことはなかった。もっとも、僕が訪れるのは必ず広島で勉強会があるときで、午前中にかの国の女性達を案内して、昼過ぎには広島に戻って漢方の勉強会に出席するのがパターンだったから時間の余裕はない。だから自ずと代表的なところを簡単に回るだけだったが、今回は明らかに、ゆっくりと回ることを前提に訪れた。
 その看板に誘導されたのではなくロープーウェイに乗ろうとしたのだ。ところがロープーウェイに乗るために少し登り勾配の道を上がっていかなければならなかった。ところがその道が綺麗だったのだ、下に小川が流れ、まだ緑だけれどもみじの葉っぱが生い茂っている。これがもう一月後だったらどれだけ綺麗だろうと思わせるほどだ。宮島の紅葉は有名だけれど納得できるような気がした。
 帰国する人たちに思い出を作ってあげるという、勝手に作ったルールだが、それによって得られることは多い。