八雲

 赤穂線の到着を待つ僕のホームの反対側に、スーパー八雲とかかれた電車が止まっている。このところ月に2,3度夜の8時過ぎに岡山駅から赤穂線邑久駅まで帰ることがあるのだが、必ずその電車を見る。暫く止まっているから中を見ることが出来るのだが、赤穂線なんかよりは快適そうだけれど、新幹線ほどではない。いわゆる特急らしい。どういった理由か分からないが、ある時間が来ると乗客が乗り込む。反対のホームだから様子は分からないが、それまでは扉が閉まっていて、ある時間に空くのだろうか。切符を手に、席を探す様子が見て取れるから指定席なのだろう。
 岡山駅が始発だというのは分かるが、一体何処まで行くのだろう。名前からしたら島根県まで行くのだろうか。あの時間に岡山を出て一体何時に着くのだろう。そもそも北に向かう電車には乗ったことがないからほとんど知識がない。途中の止まる駅はもちろん、行き先が鳥取か島根かも実は分かっていないのだ。
 そんなことを考えながら自分が乗るべき電車の到着を待っていると、ホームの向こうにある電車に乗ってみたくなった。母とモコを続けて見送ったから、必ず家にいなければならない状況ではなくなった。10数年前にモコが来てからは必ず家に帰ってこなければならなかったし、母が衰えてからはいつ連絡があっても良いようにと5年以上家を空けることは出来なかった。今なら家を空けることが出来るんだと、スーパー八雲を見ながら思った。電車で出かけ旅館に泊まって、美味しいものを食べる。そんなことも許される環境になった。その程度の贅沢なら許されるのではないかとも思った。
 ただ僕には分かる。そんなことをして僕の心が満たされるはずがないことが。僕はやはり興味の対象は人だ。お金で手に入るもので満足は得られない。お金で買えない人の心を満たすことが出来ることに勝る喜びはない。そのために僕は、正直な心を持ち、正直な言葉を使う。何でも飾り立てるものは嫌いだ。