勘弁

 こんなに効果的なデモ行進を見たことがない。僕が当時者でなかったら拍手喝采だ。ただ丁度その時僕は、彼らにとって一番してはいけないことをしてきたばっかりだから、居心地がすこぶる悪くて、かの国の女性達を促してそそくさと立ち去った。昨日初めて会った女性もあっけにとられていたみたいだ。ただ僕はあっけにとられたのではなく、一本とられた感覚だ。  須磨の水族館から出てきたところに丁度太鼓を打ち鳴らしながら数十人のデモ隊が通りかかった。僕は当然アホノミクスのことだろうと思って声援を送ろうとしたのだがシュプレヒコールの内容が違う。「イルカを虐待するな!イルカを海に戻せ!」などと叫んでいた。今正にかの国の女性9人とイルカショーを楽しんできたばかりだったのだ。そもそも僕もイルカショーが好きだし、帰国する前に思い出作りとして神戸は要望が高かったので、それなら須磨水族館は外せないと企画したのだが、そしてそれが大成功の内で終わったのに・・・  そのシュプレヒコールに後ろ髪を引っ張られた伏線はショーを見ていたときからあった。来るたびにレベルが上がっているイルカを見ながら、僕は我が家で飼っているモコのことを思い出したのだ。もう13年僕と一緒に眠り、娘夫婦や妻にかわいがられ、幸せに暮らしている。皆に時間があると相手をしてもらい、皆が働いているときは寝ている。皆がまるで人間のように話しかけ、意思の疎通もかなり出来る。あのイルカ達もきっと楽しいからあの芸をしているのだ。芸ではなく遊びなのだと思った。そんなことを考えながら見ていたのだ。捕獲されてかわいそうと言うより、楽しいのだろうなと考えてしまったのだ。なんて不自然な発想だと自分でも思うが、モコと重ねて考えてしまった。  デモ行進をしている数十人の人たちの考えはよく分かる。あのイルカの高度な芸を見ていたら情が移り、餌のために懸命に演技するかのような姿が忍びないだろう。高度な脳の働きをする分、犬や猫と同じように擬人化してしまう。それでは牛や豚や羊やヤギはどうなのと聞かれると、いくつもの答えが返ってくるのではないか。このことに関して何も答えられるものはない。ただ、立ち居地をことにする多くの人たちのそれぞれの思いは分かる気がする。とりあえず、それで御勘弁を。