上郡

 ヤマト薬局特製の風邪薬3号と言うのがある。娘が薬局製剤として作っているものだ。僕の薬局では製薬会社の風邪薬を飲む人はほとんどいなくて、もっぱらこれだ。色々な風邪の症状にあわせて5種類くらい許可を取って作っているが、それで9割の人はまかなえる。今日その風邪薬の袋を持って買いに来た女性がいる。  袋を持っているし、開口一番「よく効くんですわ」と言うから、馴染みの方のはずなのだが、お目にかかったことがなさそうだ。親しみを込めて話しかけてくれたから「どなたでしたっけ?」と言い辛かった。僕の表情を読み取ってくれたのか「上郡からこの風邪薬をもらいに来たんですわ」と素性を明らかにしてくれた。道理で知らない人だと思った。  上郡と聞いてすぐにその町の景色が浮かんだ。町に入る前、整備された大きな池のそばを通り、町に入ると商店が点在している。駅前には観光協会の案内所があり、人待ち顔の職員が暇をもてあましている。駅はJRと智頭急行が共同で使い、初めての訪問者ならまず切符売り場で混乱する・・・・・  2月に雪を見に行くために、上郡まで車で行き、そこから智頭急行の特急電車に乗った。だからすぐに上郡の景色が浮かんだのだ。「上郡?智頭急行の駅があるところですよね」とつい最近経験したことを隠して知ったかぶりをする。すると女性は「特急電車が止まる所ですわ」と自慢げに言った。大きな街だから止まると言うのではなく、どう見ても地政学的にそこしかないという感じで止まる所だと思ったが、そこはわざわざ兵庫県から風邪薬だけを買いに来てくれた方だから、気持ちよく安全運転で帰っていただくべくおべんちゃらを言っておいた。僕の記憶では1時間もかからなかったと思うが、その女性は45分くらいで来ることができたと言っていた。地元の人ならではの道があるのだろうが、僕より年上だろうに、元気なものだ。  かの国にこの春帰国する女性達に、雪を見せるための小旅行だったが、そんな小さな経験が人との交流の道具になる。こんな道具を一杯持っている人は誰とでも仲良くなれるかもしれない。僕の患者さんの中には人が苦手な人が多いが、どんな些細なことでもいいから経験を積み重ねていって、道具を一杯そろえるといい。善良な人と知り合えるのは大きな喜びだ。