基準

 何年も前からヤマト薬局の漢方薬を飲んでみたいと思っていたと言いながら、処方箋を持って入ってきた。あるトラブルを我慢していたらしいが、もう限界と思って漢方薬を飲むことにしたらしい。そのトラブルは命をとられはしないが、かなり不自由を強いられる。もっと早く決断すればいいのにと思うが、経済的な理由で躊躇っていたみたいだ。ただ、処方箋には、息子の名前が入っていたから僕の処方と同じと考えてもいい。迷い迷った歳月が悔やまれるがそれは仕方ない。ひたすらお役に立てれるように智恵を絞るだけだ。   会計の時に何かの拍子に奥さんの調子も悪いと教えてくれた。僕や息子に何かを期待しているわけではなく、なんとなく口からほろっと漏れただけだ。それによると奥さんは、脊柱管狭窄症で不自由しているという。なんでもわざわざ遠くの大学病院にかかっているらしい。それでいて治ったらいいのだが、効果はほとんど無く、日常生活がかなり阻害されているらしい。脊柱管狭窄症は現代医学ではほとんど治らない。僕は得意としているから、「もしよかったら漢方薬を作るよ」と言いたかったが抑えた。ひょっとしたらその大学病院の先生が息子を知っているかもしれないから。薬剤師ごときが生意気だと思われると息子にとっては不都合だろう。それと基本的には僕のほうから頼まれてもいないのに提案するようなことはしない。商売はしたくないのだ。それにしても脊柱管狭窄症で歩きにくいとは、あまりにも若すぎると感じたので「まだ若いのに大変ですね!」と言った。するとその男性は「若いもんか、もう70の大台に乗るのに」と言った。その瞬間、僕はあっけに取られた。何も考えずに自然に口から出た言葉なのだが、言われて見れば何となくおかしい。そう言えば、その男性の奥さんはもう何十年も見ていない。顔は思い出されないが美人だったような気がする。僕が「まだ若いのに」と言ったのは、何十年前の記憶によるもので、誰にも等しく過ぎた歳月は勘定していなかった。  最近、歳の話が確実に増えている。昔は年齢など興味の対象にはなりえなかったが、今はそれを避けては通れない。だから頻繁にその言葉が出てくる。しかし、気がついたことと言うか気をつけなければならないと思ったのは、歳の話をするときの基準が明らかに自分なのだ。だからかなりの年齢の人に「まだ若い」などと言う言葉を使ってしまうのだ。年下の人にも同じ言葉を使うことも増えて、その人たちも同じように「若くないですよ、もういい歳ですわ」と答える。一体どの年齢を基準に考えればいいのかわからないが、少なくとも自分でないことは確かだ。恐らく世間の概念に近づけて言葉を選ばなければならないのだろう。赤ちゃん、幼児、子供、青年、おじさん、年寄り・・・・僕は自分のことは「おじさん」を多用している。ちょっとさばを読んでいるが。