消耗品

 当然といえば当然だ。素人だから本質のところは理解できないが、舞台での演奏を数年見てきているから、もう十分「志多ら」のメンバーになれると思う。昨年だったか、コンサートが終わって出口でメンバーの見送りを受けるときに「志多らに入ったら!」と声を掛けたのだが、その通りになって嬉しい。全くの部外者なのに、夢幻の会のレベルの高さにはいつも驚かされ感動をもらっているので、自然に肩に力が入る。  志多ら入りの報告の挨拶の時にOさんが自分で言っていたが、3歳から15年間和太鼓を打っているらしい。資質(お父様が創始者?)と鍛錬でつかんだ腕前だろうが、どれだけの人を感動させてきただろう。太鼓は鼓動と共鳴して人の心を大地に戻してくれるが、どれだけの人が明日への決意を心に秘めただろう。  若者の多くが、一部の大金持ちの老人達や政治屋達によって使い捨てと言う辛酸を舐めているが、こうして自ら進路を切り開く若者にいっぱい出てきて欲しい。まるで将棋の駒のように手の内にあるような生き方をしないで欲しい。いやなものはいや、決して安易に妥協しないで、自らの才能に気づき、用意された面白みのない道には進まないで欲しい。くれぐれも消耗品などにはならないで。