風潮

 同じ言葉をもう10年近く前に聞いたことがある。初めてその言葉を口にしたのは久々にやって来たある県会議員だった。そして2度目に口にしたのがいつもお世話になっている税理士の先生だ。数日前にやって来た時に「ヤマト薬局さんが残っているのは奇跡に近いのではないですか?」と言われた。  そういった感想を持たれるのは僕の薬局が時代の流れに全く乗っていないのに、どう見ても取り残されているのに今だ存在しているからだろう。ドラッグ全盛時代に多くの薬局は駆逐された。そこで台頭してきたのが病院のまん前にヤドカリのように乱立したいわゆる門前薬局だった。僕は医者に処方箋を回してもらうべく機嫌をとるようなことはできないからそういった薬局に方向転換する事はしなかった。経済的に立ち行かなくても、完全に独立した状態の薬局としてしか存在させることは出来なかった。  僕の薬局に初めて来る人は、特徴がないから戸惑うかもしれない。見るからに調剤薬局でもない、見るからに漢方薬局でもない、見るからに昔のままの薬局でもない。若夫婦が店舗のイメージを変えてしまったから、特徴がないのが特徴になってしまった。珍しい観葉植物、カフェのようなテーブルや椅子、カフェのようなもてなし、そこでうろうろする汚れた白衣姿の初老の男。  不思議ついでにもう1つ。過疎地の牛窓にあって、僕の薬局には若い人が結構来る。それも結構真剣なテーマでやってくる。僕が彼らの親にあたる年齢だから話しやすいのか、かなり多くの言葉を交わす。時代の風潮についていけない素朴な若者が多い気がするが、彼らがまるで時代の犠牲者のような生き方を強いられていることに僕自身が耐えられなくて、個性的に生きていける手伝いがしたくて、つい一所懸命になってお世話したくなるのが伝わるのだろうか。  旨く生きていける人間が勝者になり、よりよく生きていこうとしている人間が敗者となる。そうした風景を僕は見たくない。そのためには僕の薬局は、見るからに経済を追いかけている薬局にはなれないのだ。