成果

 1週間くらい、日本語が全く通じない若い女の子が来ている。最初はこちらの英語力を試そうと色々予習していたが、さすがに接点がないから、言葉が通じない以前に会話するモチベーションが沸いてこない。これが患者さんや、かの国から来た働き者の子達だったら言葉の壁を越える努力も楽しみなのだが、何故かそうした努力が空しく感じる。だからほとんど黙っている。  昨夜、ある写真をきっかけに少しだけ会話した。白黒写真で写っている祖父の写真だ。息子から言えばそれは「ひい爺さん」にあたる。そのひい爺さんを説明しようにも、祖父までしか英語を知らないからできなかった。そこで妻が機転を利かせて、英語でおじいちゃんのお父さんと言った。するとそれは理解できたようだ。「ではそのひい爺さんのことを英語でなんと言うの?」と尋ねると分からないようで妻が言ったように「お爺さんのお父さん」と英語で答えた。英語が出来る人間がひい爺さんのことを言えないのかと不思議に思って、「えぇ、知らないの?」と大げさなリアクションをしたら息子が横から口を挟んだ。「あの国は、平均寿命が50歳くらいだから、ひい爺さんなんてありえないんだ。言葉はあるんだろうけど実際に目にすることがないから知らないのではないの」と。正しい説か、想像で言っただけか知らないが、なんとなく分からないこともない。日本だったら珍しくないことでも、背景が異なれば、稀な事になってしまう。  こんなどうでもよい気づきが今のところの成果。