何回も同じ言葉を繰り返されると、最後には自分でも「そうだったんだ」と思えてくるから不思議なものだ。  何の話でそんな話題になったのか、いやいや、かの国の女性達の話をしていて、自分達の昔話になったのだ。過去のことはほとんど思い出さない習性の僕だから、相手が9割喋ったが、それでも誘導されてなんとなく思い出すこともあった。  僕より二つ年上のその男性は、前島で農家をしている。代々前島に暮らしていて、今でも楽しそうに野菜を作っている。そんな彼が、かの国の女性達の話を聞いて、「昔の日本と同じじゃ」と言った。  「中学校の弁当のとき、卵焼きがおかずで入っていた家は裕福じゃ!」  「ごめん、僕は入っていた」  「中学校の弁当のとき、ウインナーソーセージが入っていた家は裕福じゃ!」  「ごめん、僕のは入っていた」  「中学校の弁当にスパゲッティーが入ってた家は裕福じゃ!」  「ごめん、僕のは入っていた」  「中学校のとき、弁当を隠すように食べていた家は貧乏じゃ」  「ごめん、僕は堂々と広げて食べていた」  「アキちゃんの家は薬局だから、裕福じゃったんじゃ」  「そんなことはなかったよ。お袋は皆貧しかったからなんともなかったとよく言っていたよ」  「そうじゃなあ、でも幸せじゃったなあ。今のほうが悪い気がする」  薬を出し終わった後のたわいないお喋りだが、そうか僕の家は裕福だったんだと思った。当時の卵は高かったのだそうだ。卵の上が何かは知らない。梅干一個がおかずの弁当を隠しながら食べていた人が、同じクラスにもいたとは知らなかった。当時知識に隙があったのか、感性に隙があったのか、人格に隙があったのかわからないが、大いなる迂闊だった。