不憫

 不憫と言う言葉しか浮かばない。昨夜からその言葉が僕の頭の中を駆け巡り、眠りの浅い夜だった。  和太鼓のチケットを3回分、第九のチケットを1回分、そのつど8人分ずつ手に入れたから、意気揚々と寮を訪ね皆を喜ばせてあげようと思っていたのに、一人だけどのコンサートに行きたいか言わない女性がいた。つい1ヶ月前、神経性胃炎を漢方薬で治してあげて、倉敷の大原美術館にも一緒に行けた女性なのに。元の状態に戻っているのかと思うくらい表情が暗かった。だけどそんなに突き詰めて原因を探ろうとは思わなかったので、他の14人の一応の希望を聞いて寮を出た。  すると通訳が追いかけてきて、夜空の下で話をした。彼女いわく、落ち込んでいる通訳(交代要員としてきた)が会社で通訳ミスを起こし、作業に悪影響を与え叱責されたと言うのだ。おまけに、通訳の職を解かれ、まったく日本語の教育を受けていない女性に通訳の職務を与えたと言うのだ。即席に通訳を任命された女性も当然僕はよく知っていて、好奇心ゆえに僕としばしば行動を共にし日本語を実につける機会に恵まれた女性だ。しかし正式な日本語教育は受けていない。交代要員の通訳がどんなミスを犯したのか知らないが、処分はさぞ屈辱だと思う。そのせいで彼女は一人早く出勤し、一人遅く寮へ帰っているそうだ。仲間と顔を合わせるのが辛いのだろう。  たった一度のミスか、それとも能力不足でミスが状態化していたのか、どちらにしても僕には全く介入できないところでの出来事だ。雇用主の会社が期待しているような仕事をこなせなければ、このような処置も当然と言えば当然だ。当事者になれない歯がゆさの中で耐えなければならないのかと昨夜は苦しんだ。  「○○さん国に帰るかもしれません」と追いかけてきた通訳は教えてくれたが、僕には忘れられない光景がある。彼女が初めて日本に来た昨年の春、来日したグループを岡山城に連れて行った。日本語が堪能な彼女は目を輝かせ「オトウサン ニホンノブンカ イッパイシリタイ」と言った。来日する中では珍しく大学を卒業している女性に、僕はその好奇心を大切にするように、又僕がその好奇心を満たす手伝いをするからと約束していた。しかし、その後彼女は日本語の上達振りに満足出来ずに、いつも自分を責めていた。そして、それが体調不良を起こし食事を摂る度に吐いていた。それはさすがに漢方薬で治すことができたが、今回の問題に対しては僕の武器は使えない。  もし本当に帰国を余儀なくされるのなら、僕はまだ果たしていない約束を果たさなければならない。日本を代表する文化の街をお土産に見せてあげたいと思う。冬の京都は想像以上の底冷えらしいが、彼女の凍った心よりははるかに暖かいだろう。