名付け親

 朝の番組で、最近の子供たちの名前が難しくなっていると言う内容のものが放映されていた。ある幼稚園に取材に行っているのを流していたが、本当に難しい。今ここで具体的な名前を挙げて説明しようと思ったが、結局は一つも覚えていない。それだけ難しいと言うことだ。名前自体はそんなに奇抜なものではないが、何せ使われている漢字が難しい。こう言ったものを当て字と言う風に僕など習ったような気がするが、それでも皆で渡れば当て字には思えない。  どう見ても漢字が苦手そうな現代の親が、よくもこんなに奇抜な読み方を思いつくなと思っていたら、理由がわかった。というよりネタが割れた。多くの親が名前をつけるアプリを利用していたのだ。至れり尽くせりの内容らしく、漢字など覚えていなくても名前にたどり着ける算段だ。アプリの会社の社長が説明していたが、僕は操作方法のあたりで理解不能に陥った。  でもそこでちょっと待てよと、ある疑問が浮かんだ。そのアプリで実際にはどのくらいの親が名前を決めたのか知らないが、50万件のアクセスがあったとか言っていたが、ひょっとしたら何千人の赤ちゃんの名付け親はその社長か?と思ったのだ。おじいちゃんおばあちゃんではなく、親類の立派な人ではなく、お坊さんではなく、姓名判断の先生ではなく、コンピューターが得意な社長さんか?これでは、なんとも有り難味がない名前だなと思った。せめて名前だけはと思い入れが強いのだろうが、独自性を大いに打ち出している割には、出典があのITの社長さんなら独自性どころではなく、ほとんど親族状態だ。  大切な大切なわが子だから、他人がとやかく言うことはないが、名前をつけるのと同じエネルギーで、わが子を戦に行かせない努力もしてあげてほしい。