無理難題

 早く気がついてあげればよかった。  かの国の女性にしては、と言うより日本人でもあそこまで短いスカートをはかないだろうなというような服装による先入観で、僕自身が避けていたのだが、教会でかいがいしく同胞の世話をしている姿を目撃してから、考え方を変えた。同じ会社の他の地域にある工場で働いているから、接点は岡山教会だけだった。牛窓工場の女性たちは接点がありすぎるくらいあり、会社も僕に関して信頼してくれているから、日本にいる間に多くの文化や人に接してもらいたいと思い、一緒に多くのことを体験するようにしているが、さすがによその工場の女性までは思いが至らない。その女性の友人を介して知り合うことになったのだが、先入観を払拭するくらいの純情を持っていて、もち前の明るさとあの服装で僕に誤解を与えていたのかもしれない。  帰りの車の中で彼女が言ってくれた。「ワタシ サイゴニ オトウサンシッテ イッパイノトコロイッタ マエハ ドコニモイカナカッタ」3年間の労働を終え来月国に帰ることを知って、僕は焦った。僕の体力と財布の中身を考えて、どうしたらこの国の良い印象と共に帰国してもらえるか考えた。数ヶ月くらい前から日本の文化と人に多く触れることが出来るように考えた。今日も朝8時に出発して、夜の10時までアッシー君に徹したが、これまた帰りの車の中で「オトウサン ワタシハ ガンバッテ マタクル」と言ってくれた。  岡山駅で別れて帰りの車の中で僕は気がついた。僕がやっていることは、漢方薬で患者さんを治していることと同じだと。僕だけでなくすべての薬局の人も同じだと思うが、僕らは目の前にいる人が治ってくれることが一番嬉しいのだ。ただそれだけのために働いている。ところが治療と言うものは確立の仕事だ。10人お世話をしていったいどのくらいの人が改善して例を言ってくれるだろう。ところがかの国の女性の世話は、100%効果を出すことができる。みんなが毎回とても喜んでくれ丁寧に礼を言ってくれる。このことだけのためにと言う点で、薬局もかの国の女性のお世話も所詮同じなのだ。だから僕は続くのだと思う。悪気はないが結構無理難題をだされるが何とかすべてを満たそうとする努力は、患者さんと対峙しているときの心境とまったく同じだ。長い間体に染み付いた単なる習性なのだ。だから意外と僕自身が淡々としている。  今日はフェリーと四国村。次回は津山の和太鼓だ。やはり僕が一番楽しんでいる。