フジツボ

 僕は発見した。富士山は地球のフジツボだ。  数日前に関東の女性が沖縄に行ったときに、機上から富士山を写した写真を送ってくれた。昔ならプリントして郵送してくれるのだろうが、なんて便利な世の中になったのだと思う。インターネットで送ってくれるのだからあっと言う間に想い出が届く。  西に住んでいる人間にとって、富士山は滅多に見るものでないので結構珍しく、その女性はこうしたチャンスに写真を送ってくれる。何回か見直しているうちに、富士山がフジツボに見えてきた。上空から撮った写真だから富士山も小さく写っている。そして火口が正にフジツボの開いた口にように見えたのだ。そして地球にへばりついているようにも見えたから冒頭のようなフレーズが浮かんだ。  実はこの前の日曜日に実際に沢山のフジツボを僕は見ていた。そんなものをしげしげと眺めたのはいつの頃からだろう。ひょっとしたら半世紀ぶりかもしれない。幼いときに海水浴場とか釣りをするための岸壁などで自然に目に入ってきたとき以来かもしれない。   日曜日にかの国の青年と日本人の若い女性をヨットハーバーとその横に広がる砂浜に案内した。ヨットを係留する桟橋に沢山の牡蠣がくっついていて、それをかの国の青年達が採った。その蛎殻に沢山のフジツボがついていた。又砂浜では貝の殻が沢山落ちていて、その貝殻にフジツボが約束されているかのように必ずくっついていた。  フジツボの例えは、日曜日の記憶と、女性が送ってくれた写真が偶然重なって沸いてきたものだ。こうした小さなドラマを僕達庶民は紡ぎながら、そこそこに人生を楽しむ。