この歳になって初めて入ったなどと言うと、何かいかがわしい所のように聞こえるがそうではない。逆に高尚な所でもない。正式な名称が分からないから間違っているかもしれないが、銀行のキャッシュコーナーだ。色々な所に設置されているから、しばしば目にするが利用したことは勿論近づいたこともない。全く無関係なところだ。  日曜日に妻と息子と3人で出かけた時に、2人ともお金が必要になってある銀行に寄りキャッシュカードでお金を引き出すと言う。こんな機会はまたとないので僕は2人についてキャッシュコーナーに入った。そして2人の作業を見ていたがあっと言う間にお金が出てきた。何十年も前に最後に入った銀行での記憶は、カウンターで手持ち無沙汰に職員の行き交う姿を見ながら名前を呼ばれるのを待っている姿だ。それに比べればそれこそあっと言う間にお金が出てきた。どうしてそんなに早くお金が出てきたのかと思って機械を見てみると、新幹線の切符を買うのと同じようなタッチパネルだった。「これなら僕でも利用できる」当日の最大の収穫がその確信だった。  思えばキャッシュカードは持たないし、現金も持たないから、そもそも関係ない場所であり機械なのだ。日曜日に出かけるときに妻から1000円もらい、それで昼食やちょっとした消耗品の購入に当てていた。そんな生活が30年くらい続いたが、かの国の若い人達と知り合ってそれではすまなくなった。そこで少しだけお金が必要になったから職業を生かしたアルバイトをしている。職業を生かしたアルバイトなら職業そのもののようだが、職業ではない。ややこしいからその話はさておいて、キャッシュコーナーの壁は取り払った。まるで技術のビッグバンに付いてはいけれないが、科学や技術では量れない精神の重さを知っているし、忘れないし、侮らない。  あっと言う間に出てくる現金の価値よりも、それを自分の労働の対価として手にする過程や努力を評価する。機械から飛び出てくるものは目的でも評価でもなく、所詮道具でしか過ぎない。壁は取り払ったが、恐らくもう二度と入らない場所だと思った。