たったそれだけでこんなに喜んでもらえるんだと、逆の立場だったら何に当てはまるのだろうと考えてみた。  岡山教会に県北の方から礼拝に来た人がいたのだろうか、僕の車を止めた傍にうっすらと雪が屋根に積もった車が駐車していた。それを見つけたかの国の子達は一斉に歓声を上げ、人の車ってことはお構いなしに、屋根や窓枠から雪を集めては、お互いに投げ合ったり、花吹雪のように高く投げたりしていた。50年ぶりにかの国で雪が降ったとニュースが先日伝えていたが、20代の子達だから当然見たことはない。次の50年を母国で待てば、彼女たちは70歳を過ぎることになる。その年齢で雪を見ても感動は少ないだろう。犬は喜び庭駆け回る年齢でないと、どんな事象に対してもクールになってしまう。  こんなに単純な物でここまで喜ぶことが出来るものって一体僕にとっては何なのだろう。牛窓に帰って来てからほとんど仕事しかしていないから、珍しいものだらけのはずなのに、経験していないことはイメージできない。またテレビなどの情報でほとんどのものは疑似体験しているから、なかなか歓声を上げるほどのものが思いつかない。  雪道などは走ったこともないから、彼女たちを県北の雪景色に案内するのは僕には出来ない。今日の感動振りを息子に話したら、彼が連れて行ってくれるそうだ。あれだけで、あれだけの感激振りだったら、膝が埋まるような雪景色だったらどれだけ感激してくれるのだろう。恐らく想像以上の感激振りに感激する僕が雪の中にいるだろう。