あるわあるわ、出てくるわ出てくるわ、90歳過ぎの老婆が一人で住んでいた家とは思えないくらい物が出てくる。 決して贅沢などとは無縁の母だから、物など無いと思っていた。物が散らかっているのが耐えられない人だから、買い集めないと思っていた。確かに高価な物を買った形跡はないが、使えるもの、捨てられないものをそれこそ大切にしまっていた。一見片づけられた部屋だから目視で片づけるのは簡単だと思っていた。ところが4トントラック1回では片づかないくらい、4人でも片づかないくらい物が出てきた。  恐らくそのほとんどの物が使われていないのだ。無くても何十年も回ってきた物ばかりだ。誰かがいつか勇気を持って決断しない限り、代々無用の物を受け継いだりする。物にこだわりがない僕だから、物どころか想い出までもこだわらない僕だから、そうした役回りは打って付けなのかもしれない。だから見る見るうちに物をトラックに積み込んだ。悲しいかなあまりに物が多かったから、見る見るうちに積み込んだ割には、見る見るうちに物は減らなかった。  時折雷が鳴る蒸し暑い時間帯に、慣れない肉体労働をしたから、熱中症もどきにかかりそうだった。甥にスポーツ飲料を買ってきて貰い、クーラーをかけて車内にいたら回復したが、ちょっと気を抜くと誰もが毎晩発表される熱中症の人数にカウントされてしまうことになる。さすがにかなり体力を消耗して夕方からはあくびが止まらない。次の世代に迷惑をかけまいと思えば、物は持たない事だ。主がいなくなれば一山なんぼの世界でしかないのだから。そもそも今日を懸命に生きている人間にとって、物も想い出もいらない。メモ用紙一枚で今日は作れる。