体感

 悪い意味で言うのではないが、重しがとれると言うことはこんなことかと実感させられたエピソード。 地元のスーパーが昨日閉まっているのを知らなかったかの国の女性が落胆していたので、夕方から一緒に岡山に出ていった。勿論行動するときは複数の女性と一緒と決めているから、誰かを誘うように言っておいた。すると二人のかの国の女性を連れてきた。二人ともこの4月に僕の家族ともっとも親しかった女性と入れ替わりにやってきた子達で、まだ日本に来てから1ヶ月だ。 帰国した若い子がかなり日本語が分かったので、この女性は口を利かなくてもことは足りていた。だから年齢が30歳を越えていることもあるのだろうが、日本語の覚えが悪く数少ない決まり切った言葉を交わすだけだった。意志の疎通に困れば「○○ちゃん、通訳」と言えば若い方が懸命に通訳してくれた。 ところが昨日はこの女性が喋るわ喋るわで、往復の道中も、夕食をしたレストランでも、お店の中でもひっきりなしに話しかけてくる。1ヶ月前までは若い方に隠れてただ笑顔で意志疎通をしていただけなのに、懸命に日本語を喋り意志の疎通を図ってくる。不思議なことに、ほとんど会話に困らなかった。新しい二人に僕が日本語で話しかけて「○○さん、通訳!」と言えば、すぐに通訳してくれて、僕の意志が伝わっているようだった。又向こうの言いたいことも良く分かりお互いが理解し合え、楽しい時間を過ごした。  自立とはこうしたことを言うのだろう。僅か1ヶ月の間にこんなに変わるのだろうか。後輩の面倒を見なければならないことがモチベーションになって、一気に語彙を増やせるのか。必要とはこんなに強いモチベーションなのか。勉強より諦めの方が早く、日本語以外の言語は全く分からないが、およそモチベーションなどと言う言葉と接することなく生きてきた僕でも、もし30年以上前にかの国の女性達と出会っていればそのモチべーションとやらを体感できたのにと、少々残念に思う。