判断基準

 直接薬局に来てくれる人に、僕がブログを書いていることを教えたことはない。読んで欲しいと思わないからだ。書いていることは薬局で喋っている事と重なる部分も多いし、僕の人となりなど数分も話せば分かってくれるから。 ついに見つかった。どうして僕のホームページやブログに行き着いたのか知らないが、数回内緒で登場して貰った若いお母さんに見つかった。これはやばいが、運がいいことに恐らく僕はそのお母さんをかなり評価しているから、不快になるような事は書いていないだろう。もっとも僕が忌み嫌う人間は権力欲むき出しで、弱者を虫けらのように思っている奴らだけだから、庶民を悪く言うことはほとんどない。ただし、揚げ足をとる習性がある人は庶民でも別だが。 このお母さんの特異なリアクションは、僕がブログに勝手に登場させているよと言ったら「それが楽しみで探した」と言うものだ。この手のことはたいていの人がまず警戒から入ると思うのだが、彼女は違う。楽しみからはいることが出来るのだ。そしてそれを口に出すことが出来る。彼女の特徴は、自分では気がついていないかもしれないが、朝の連続ドラマ(純と愛)の主人公そのままの「裏表のなさ」なのだ。何でもないような価値だが、僕はこれをかなり上位の人物判断基準にしている。実績も肩書きも、もっと言えば学歴や経済力なども、恐らく世間的に言えばかなり上位にくる条件だと思うが、僕はそれらの前提に「裏表がない」を満たさないとほとんど評価しない。 僕ら凡人が作る共同体には、彼女のようにごく普通のヒーローが一杯いる。こんなタイプの女性が息子の嫁になってくれたら・・・僕ら世代は、そんなことを思いながら若い女性に接することが多いが、書き順さえ忘れてしまいそうな「希望」という漢字を四国弁が織りなす言語風景の中に見つけることがしばしばだ。 恐らく彼女はこの文章を読んでくれるだろう。ただ残念なことが一つ。これで彼女をこのブログに登場させることが出来なくなる。明日から又、彼女以上の「裏表のない人」を見つけなければ。