限界

 妻がぼそっと、「うちにくれば良かったのに」と言ったが、さすがに僕は即座にそれはうち消した。レベルが違う。お子さんの苦悩の質と、その家の良質さが。僕がお世話できるのは超庶民のウツウツとした生きにくさくらいまでだ。本当に死を考え、今にも実行しそうな人を薬局ごときが救えるはずがない。 朝のテレビだったと思う。ゆっくりと放す語り口で何となく引き込まれていくかの有名な東京大学の先生、ほとんどそれは僕などからすると知性のかたまりのように見えるのだが、そのお子さんが若くして命を絶ったらしい。何年も苦しんでいたらしいが、あの地位で、あの知性でも防ぐことが出来なかったのかと悔やまれる。ただ僕の経験だと、それこそが彼にとっては重荷だった可能性もある。普通の人間には分からないが、親とか家とか親類とかの名声が、それも上質であればあるほど重荷になってのしかかることはあり得る。僕ら庶民みたいに、たわいもないことを考え、たわいもないことをし、たわいもないほとんど無駄と言っていいような時間を過ごすことが出来れば自死は防げていたかもしれない。そう言った意味では僕の家などそのたわいもないことのるつぼだから、妻が言うように見せてあげれば良かったのだろうかと思ったりする。  凡人が心に響く言葉など投げかけることは出来ない。ただ、言葉にならない気持ちを投げかけることは出来る。不器用でもあるがままに接することで、言葉以上の投げかけは出来る。作為のない風景の中に招くことは出来る。余力を残しながらの精一杯。これが僕の限界だ。