打率

 もう何度か書いたが、これから何度も書かなければならないかもしれないが、これで最後にして欲しいが、と書いてくるといくつもの候補があることに気がついた。これからどの様に話を展開しても良いわけだが、日曜日を明日に控えているからついこの話題になってしまう。  必要なもの以外はほとんど買い物をしない僕だから、店員に不愉快な応対をされるとその1日が打率10割の被害者になってしまう。明日もそんな僕が買い物をする所は決まっていて、ほとんど毎週例外はない。  朝はまず町内のコンビニで母の昼ご飯を買う。ここが最大の関門で、折角の日曜日の始まりを打率10割で不愉快なものに変えられる。相手の目も見ない、聞こえるか聞こえないかの小さな声でマニュアル通りのフレーズ、投げるように置く釣り銭、全く心のない挨拶。どれを取っても不愉快な典型で、少しでもそれを補うような温もりはどこにもない。とくに僕が行く日曜日のその時間帯は高校生のアルバイトらしくて、レベルの低さは町の恥にでもなりそうだ。余程人材がいないのか、知らないうちに恐らく客を沢山逃がしていると思う。こうした子がいずれどこかの正社員にでもなるのかというと恐らくそれはかなり難しいだろう。他者に少しでも喜んで貰うなんて発想は皆無なのだから。 岡山で用事を済ませて帰り道に必ず寄るのがホームセンターだ。その前に時々大手の電気店にも寄る。そのどちらでも必ず言われるのが「カードをお持ちですか?」だ。普通の商店だったら僕がそんなものを持つ人間でないことはすぐに覚えてもらえるが、量販店だったらそれは期待できない。毎回毎回「いいです」と僕にとっては全く無用の言動を迫られる。その短い言葉が面倒なのではない。自分たちの都合を押しつけないでと言うことなのだ。用事を済ませたらあっと言う間に店から出たい僕だから、客を固定化させるための手段を営業目的に僕に押しつけて欲しくないのだ。 最近の僕のこうした不愉快から逃れる手段は、なるべく年配の女性が詰めているレジに並ぶことだ。少しでも世間の波にもまれていたら、少しでも助けたり助けられたりした経験があれば、もてなす術の少しは知っていると思うから。  個人商店の消滅と比例して、ぶっきらぼうがまかり通る。何が便利か知らないが、人間どおしの交流まで無機質な合理主義が支配してしまった。