酷使

 そうか、他人から見たらそう見えていたんだ。目の渇きと、肩こりに悩まされながら慣れないパソコンに向かっていたのだが「遊んでいるのかと思っていました」には参った。でもそれを言った人が、半年くらい前に越してきて、しょちゅう漢方薬を取りに来る人だから、おまけに笑顔がとても素敵な人だから許す。これが、人の揚げ足をとるような人物だったら、文句なしに絞め殺す。  正直メカに強くないからパソコンで遊ぶような知識はない。ただひたすらにメールの返事を書いたり、ブログの原稿を書いているだけなのだ。その様子が如何にも遊びに見えたのは、余程嬉しそうな顔をしていたか、のめり込んでいる様子だったかだ。前者は考えられないから、何かオタクみたいな感じでパソコンに向かい合っているように見えたのだろうか。  なるべく皆さんから頂いた情報を大切にしたいから、薬を作るたびに返事を書く。夜にまとめてと言うのは嫌いだ。ただ、立て込んでいるときは夜にまとめて書くこともあるが、それでは一人一人の顔?を想像しては書けない。実際に会った人は少ないから本来なら顔はないのだが、リアルタイムに返事をするようにすると何となく顔が定まってくる。改善傾向にある人の顔には笑顔があり、その逆はもの悲しい表情をしている。空想の顔は実は僕の投影なのだろう。嬉しい報告には顔が緩むし、そうでなければ責任を感じる。  僕がパソコンを打つ姿は恐らくまるで似つかわしくないものだろう。それが証拠に身体中の無駄な筋肉の緊張を強いられている。やっとパソコンを使える世代に滑り込むことが出来た付けは結構体には大きい。右手の手首と指だけを酷使していれば良かった時代が、体には良かったのかもしれない。思考も右手の動き以上には働かされなくてよかったから。今じゃ、ない頭もブラインドタッチ並に酷使される。