卒業試験

 彼が僕のブログを読む人かどうか分からないが、許可を貰わずに書く。プライバシーは全く侵害しないだろうが、敢えて書く僕の意図を彼は十分理解してくれると思う。(過敏性腸症候群は治るってことと、誰一人落ちこぼれることなく治って欲しいという願い) この数日僕のブログに登場した自転車青年は、実は10日の水曜日に京都からやってきた。約束では一泊だったが、着いてすぐ机を挟んで話をしている時に、小声で良くは聞き取れなかったが「人生を終わりにしようかと思った」と聞こえたのだ。その瞬間僕は彼に「15日の日曜日に高松に漢方薬の講演会に行くから、一緒に行こう。○○○○の女の子も4人一緒に行くから」と提案した。これは以前から計画していたことで、僕自身がフェリーに1時間一人で乗ることが退屈だから、かの国の女の子を誘っていたのだ。その事もあって彼の過敏性腸症候群を治すにはまたとないチャンスだと瞬間的に思ったのだ。そして何よりも治してからでないと彼を京都には帰せないと思った。  1年半前からお世話しているが、メールはいつも短く、体調を把握するのに苦労していた。ただ、いつの間にかバイトに行けれるようになり、なんとそのバイトが契約期間終了まで続いた。たかだかバイトなのに、バイトが終わったときには丁寧な礼を言われた。その後すぐ牛窓にやってきたいと希望を言われたので僕は快諾した。青年が人と接することに恐怖を覚え、行動を極端に制限していることに僕は耐えれないから。  彼がはるか京都から牛窓まで自転車でやってくる最大の理由は電車にもバスにも乗れないと言う理由からだ。勿論自転車や自然が好きという理由もあるが、いわばそれは消極的な理由でしかない。人が多いほど、環境がうるさいほど、腹鳴がひどくなり10メートル離れた人にも、すれ違う人にも聞こえて嫌みな言動に遭遇するというのだ。  僕はずっと彼の腸の動きを正常にする漢方薬と、肝っ玉がつく漢方薬を送っていた。ところが薬局に入ってきた彼は、スリムだが筋肉質で、運動神経がかなり優れていることを伺わせる体つきだった。要は内臓の働きを整える薬などいらなかったのだ。寧ろ小さな声で話す様子から、繊細さを捨てる処方の方がいいと感じた。その事だけでも実際に会えたメリットだが、実はそんなものより大きな効果を日曜日の小旅行に期待したのだ。  彼は自分が乗用車の助手席に座り、後ろの座席には若くて綺麗な女性が二人乗る光景など、想像できただろうか。水曜日から土曜日まで薬局にやってくる人達を見ていて、誰もがハンディーに苦しみながらも、明るく?治そうとしているのを目撃したこと、又彼自身の症状をスタッフが誰も感じることが出来ない事実などから、かなりそれだけで改善しつつあったが、長年の過敏性腸症候群からの卒業は、この乗用車の中で全て決まると思っていた。彼にとっては「ところが」僕にとっては「案の定」何も不自然なことは起こらずに、どこにでもあるごく普通の若者達の光景が一日中展開された。圧巻だったのは、講演会が終わって高松駅にあるサンポート高松に帰ってきた時、ふと彼らが若者向けの喫茶店で途中から合流したかの国の二人を含めた5人で楽しそうに喋っているのを見つけたときだ。何かもう僕は必要ないような気がして、嘘をついて買い物をしてくると言ってその場を離れた。僕には彼がまるでリーダーのように見えたのだ。 その後牛窓に帰ってから娘が彼と話していた。自分がまさに高校時代体験したことを娘が積極的に喋るのは珍しい。どうしても彼に卒業して帰って欲しかったのだろうし、小旅行(卒業試験)の結果を確かめたかったのだろう。その場に僕はいなかったから詳細は知らないが、ほとんど彼の中でも解決しつつあることを彼の口から聞いたと妻が言っていた。  計6日間いたのだが、長い間彼が悩んでいた症状など一度もなかった。僕はそんなことは最初から分かっていたが、最近は説得はしないことにしている。彼の生活空間では決してあり得ない濃密な人との関係で、実は心の中で作りだしていた症状だということに気づいてもらえればいいと思っていた。いつの間にか食事の席が決まり、僕の正面に決まって腰掛けていたが、自然体で瀬戸内の新鮮な刺身やエビなどをお代わりしながら美味しそうに食べる姿がまるで以前から繰り返されていた光景のように思えた。 京都に帰ってから、まるで人目を避けるような生活が恐らく一変するだろう。朝早く赤穂市まで車で送って行ったから今頃(午後5時)はもう大阪を抜けつつあるだろうか。かの国の若い女性達の純朴な友情をリュックに背負って。