調律師

 漢方薬を送っている女性がピアノの調律師だと分かった。僕の回りにはそんな職業の人はいないから、又実際にその様な職業のかたは、もう随分前に娘のピアノの調律を最後に会っていないからやはり珍しい職業には違いない。そんな内容の返信を送ったら「こちらではヤマハ、河合の本社があるので、調律師など五万といて、珍しくないんですよ」と返事が返ってきた。 もっと長い文章だったのだが、この「五万といる」と言う言い回しがずいぶんと印象深かった。調律師が五万といる街って一体どんな街なのだろう。信号の音は、電車が発着するときの音楽は、クラクションの音は、踏切の音は、商店街に流れるBGMは・・・ほんの少しの音のズレも感知してしまう耳のいい人達が五万といれば迂闊に音など流せなくなりそうだ。うがいも、クシャミも、咳も、挨拶も、会話までもが五線譜に正しく乗らないと居心地の悪くなる街。そんな街が実際にあったら愉快だ。  でもよく考えたら同業者が五万といる街って全国至るところに実際にはある。いわゆる企業城下町と言われるものなど全部そうかもしれない。牛窓備前焼作家が集まっているように陶芸家などは土に集まるから自ずとそうなる。芸術家なら歓迎だが一番やっかいな嘘つきが五万と集まっている街が花の都大東京にある。なんでも永田町と言うらしく、消費税を上げないと言って票を盗み、輸出企業に貢いでいる。国民生活第一と言って、東電関電第一だ。小物ばかりが顔を揃え大臣面している様はまるで幼稚園の演劇レベルで見るに耐え難い。早くブラウン管から消えて欲しいと毎日思っている。  こんな沈殿している精神状態の毎日だから、ある女性の調律師って言う肩書きが、それ自体は何の音も奏でないのに、僕の心には小川を流れるせせらぎに似て、心地よく響いた。ああ、調律師が五万といる街で耳を澄ましてみたい。