献身

 過換気症候群、偏頭痛、身体の痛み、これだけ楽になって頂ければ僕自身に達成感はあるが、そして当の本人も喜んではくれるが、まだまだ彼女には元気にならなければならない理由がある。そしていつまでも元気でいなければならない理由がある。それなのにいつも彼女は明るく屈託なく笑う。 「これだけ元気にして頂いたけれど、もっと元気になれば、家族のためにもっともっと頑張れるんですが・・・」と彼女は言ったが、何となく違和感が残った。僕の経験ではこの様な時には「もっともっと楽しいことが出来るのですが」と言うフレーズしか聞いたことがないのだから。でも彼女は元気を家族のために使うことしか頭になかったのだ。だからとっさにあの言葉が出た。  およそ僕など耐えることが出来ないだろう重荷を彼女はしっかりと受け止めている。母親ってこんなに強くて慈しみ深いのかと感心させられる。そしてこんなに素敵な笑顔をこぼすことが出来るのかと、いつもの笑顔にこちらが救われる。厳しい顔をしていて当然なのに、優しさが溢れている表情をしている。 背負っている重荷と、もっともっと楽しいことが両立できたらいいのにと他人の僕が願う。そんな苦労を微塵も見せないのは、天性の明るさか、それとも大いなる覚悟か知らないが、足元にも及ばない僕の勇気が情けなくなる。  下手をすれば日本国民だけでなく、世界中の人間を巻き込む事故を起こす原発再稼働に「私が責任を持つ」と言った最低の男がいる。責任をとるとは自分で首をつるか、一族もろとも心中することくらいが最低限必要だと思うが、あのやたら頭の大きな男にそんなつもりはない。どうせ今の肩書きを辞めますと言うくらいだろう。黙っていても辞めさせられるのだから、痛くも痒くもないだろう。あの利権がらみの世界にそんな気概を持っている人間はいない。あいつらが束になってかかっていっても、田舎で懸命に暮らしている一人の母親の献身に勝てやしない。