散弾銃

 その頃、徐々に現在の小児科医療に対して、「これでいいのか?」という気持ちが大きくなっていました。小児科では一番大事な、感染症をきちんと診られる医師もほとんどおらず、とりあえず抗生剤を出して患者を帰す、といった治療もなされていました。僕自身、抗生剤を使わないわけではありませんが、抗生剤が必要な病気はほんの一部であり、抗生剤を乱用すれば耐性菌を増やす原因になる。抗生剤を適正に使う小児科医療がしたかったんです。

 ある医師が開業した理由を明かす文章だ。この文章の前後にはもっと長い文章があるのだが、志の高さや正義感がよく現れている文章だった。となると、指摘されている多くの他の小児科はどうなのかという話になってしまう。もっぱら感染症で苦しむ子供達にとって、それをきちんと診られない医者がほとんどいないとは一体どういうことなのだろう。良く分からないからなんでも抗生物質を飲ませて、まるで散弾銃のようにどの球かが当たるだろうと言う程度のことですませているのだろうか。もっともその程度でほとんどの子供が回復するのだから、本来人間に備わっている自然治癒力はやはりたいしたものだ。  などと傍観者を気取れるほど僕らは立派ではない。小児科の医師にも勿論及ばない。僕らは散弾銃さえ持っていないのだから、弓か竹槍の世界だ。歯が立たないか近寄れないか、数々のハンディーを抱えて人様の世話をすることになる。何千年の膨大な人体実験の統計によって成立した学問を拠り所にしているのだから、効かないはずもないが、ライフル銃のように正確で強力な治療は出来ない。  本来ライフル銃で勝負するはずの人達が、大手漢方メーカーの口車に乗って竹槍で戦い始めた。竹槍同志では僕は負けないが、僕らが負けないような土俵に降りてくるべきでない人が降りてきてはいけない。もっと崇高な場所で活躍して欲しい。経済の臭いがぷんぷんとして人格を下げてしまう。その臭い、煎じ薬どころではない。